カナかな団の躁鬱

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日記

99 日記

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2001年08月09日 18時39分

Web上の日記は、都会に乱立するビルの壁に書かれた落書きのようなものだと思うのでございます。そこを通りかかる人は、それを読んだり読まなかったりします。中にはその落書きに対する意見や反論を落書きしたり、或いは誤字脱字の添削をしたりする人もいるでしょう。添削されたり、反論が書かれたりすると、へこむこともあるでしょう。

で、中にはその落書きを日課にしている人がいて、そう、それは日記です。そしてその日記を批判されて、不快になる人もおられるようで…。

本日は非常に不快な思いを致しました。
詳しくはいえないけど、とりあえず、不快。

作者は、なぜ不快になったのでしょう?どうやら、批判されたようなのですが……。

この日記に書いていることなんて、
俺が勝手に考えて、俺が勝手に書いて、
読む人は読む人で勝手に読んで、勝手に解釈すればよいと思う。
それが気に入らないなら気に入らないで、別にいい。
もちろん同調する人間がいればそれでおもしろいけど、必ずしもそうじゃないもんね。

そうですね。壁の落書きに大笑いしたり、そりゃ違うぞと思ったりすることは間々あることです。読者が「勝手に読んで、勝手に解釈」するわけですから。

おそらく読者の一人が「勝手に読んで、勝手に解釈」した感想文でも落書きしたのでしょうか。

でもその不快な気持ちを公の場所に出されても、こちらはこまるのです。
いやほんとに。

作者の日記を不快に思った読者がいて、その気持ちをビルの壁に大書してしまったわけですか。でも、なぜ「こまる」のでしょう。作者の日記がその読者に不快感を与えるような内容だったのでしょうから、仕方ないのではないでしょうか。なんたって、読者が「勝手に読んで、勝手に解釈」するわけですから、不快に解釈しても良いわけです。それをビルの壁に書いてはいけないなどということも無いはずです。<!-- もっとも、覚えの無い事で不快だと言われれば、返答のしようが無いので「こまる」ということもありますね -->

こういったHPの「にっき」という存在は、どうしても主観の世界になります。
客観で書こうと思えばできると思うけど、主観のほうが自分的におもしろいから。
だから、どうしてもゴシップ的な要素も含んでしまうと思う。
そこらへんはおおめに見てちょうだい。
「あぁ、またやってるよコイツ」と心の中で思うくらいにとどめてちょうだい。

不快感は多分に主観的な問題だと思います。その読者も「主観の世界」として「公の場所に」出したのではないでしょうか。

なぜ、作者は自分の落書きを「おおめに見て」もらうことを要求して、読者の「主観の世界」を「おおめに見」ることはしないのでしょうか。読者の「主観の世界」を「『あぁ、またやってるよコイツ』と心の中で思うくらいにとどめ」ないのでしょうか。

そもそも、冒頭で「本日は非常に不快な思いを致しました」と語っています。これは、「不快な気持ちを公の場所に」出していることに他ならないのではないでしょうか。作者の不快感は「公の場所に」出してもよくて、読者の不快感は駄目というのは、矛盾しています。

さて、私もこの落書きを「主観」で書いております。それは、「主観のほうが自分的におもしろいから」に他なりません。作者がなぜ不快になったかは「詳しくはいえない」そうなので、私には分かりません。分かりもしないのに書くなというご意見もございましょう。至極その通りかもしれません。しかし、ここは「主観の世界」なので、「おおめに見て」もらいたいのでございます。


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