カナかな団の躁鬱

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日記

456 桃太郎と鬼

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年08月19日 20時36分

釣瓶雜記<底なし井戸の底の底>(2002年8月17日「ももたらう・其の二」)】とか【韜晦日記『ももたらう』に思ふ】で「桃太郎」について語られていますが、なんですよ、別に正義と悪の対峙についての物語などではないし、勧善懲悪の話でもないと私は思うのです。わくわくどきどき、面白い物語なだけであって、強いて教訓めいたものを持ちだせば、大きくなったら人の役に立つようになりなさい(少なくとも村人にはメリットがあった)くらいの話なのではないかと。<!-- ちなみに「水戸黄門」も主題は人情話であって勧善懲悪ではないと思ってます。-->

ちなみに、私は「桃太郎」が大嫌ひである。だつて、あの話の中で、鬼は何も惡い事をしてゐないぢやありませんか。鬼が村人たちを脅かしてゐるやうな描寫は、「桃太郎」には見出せない。鬼はただ鬼であると云ふ理由だけで桃太郎に「退治」されてしまふのである。

鬼側の描写が無いのは、「鬼」ということで極悪非道の悪い奴、もはや説明描写が不要だからでしょう。というより、どのくらい極悪なのか描写していると、子供に悪影響があるので、「鬼」という記号だけで済ませているのです。つまり、お約束ということで。

もし、子供に「鬼」について問われたら、詳細に語らなくても好いのだと思います。鬼の生活や、ましてや鬼の正義についてなど、そんなもの不必要なのです。何か恐ろしい存在、油断ならない敵、出会ったら怖いな、そういう曖昧なモノとして、そして人は時に「鬼」と化してしまうことを説いてやれば好いのではないかと思っています。

とにかく、鬼というものは、鬼の都合など認めてもらえないのです。

というより、鬼の言い分を認めてしまったら、子供にとっては便利な言い訳が増えるだけという気もしなくはないし。

鬼の哀しみについては、大きくなってから考えてもらっても、間に合うでしょうし。


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