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世間的には、昨日は終戦記念日だったようです。実際の終戦はもっと後だという人もいます。戦艦ミズーリ号上で調印した時だとか、平和条約締結の時だとか。
まあ、それは置いといて。この時期になると、私は母の話を思い出します。
艦砲射撃を見た話だとか、空襲警報の話、B-29が飛んでいた話、女子挺身隊だか勤労奉仕の話、それから父のシベリア抑留の話。
そして、近衛兵だった祖父の活躍の話。
祖父が戦場について語ることは少なく、TVで「コンバット」や戦争映画を見たときに戦術について解説してくれたくらいでした。ずっと後になって、箪笥の奥から、三八式小銃を持った祖父の写真が出てきて、髭を伸ばしたその姿に圧倒された記憶があります。
終戦間近、水戸は空襲されました。
祖父は彼の父が建てた家と家族を守るべく、屋根に登り、落下してくる焼夷弾を、掴んでは投げ、掴んでは投げ、空襲をのりきったそうです。その姿はまるで鬼のようだったと、事あるごとに叔母たちにも聞かされたものです。
飛来するB-29が投下するのは、爆弾ではなく焼夷弾がほとんどです。焼夷弾は落下傘がついているので、ゆっくり降下してくるそうで、そして地表に落ちてからも発火するまでしばらくの猶予があったそうです。
市街地では、掴んでも投げる先がないし、延焼してしまえば元の木阿弥ですが、ほぼ農村部で家がまばらだった私の実家あたりでは、掴んで畑や庭に投げれば火災にはならなかった、ということが幸いしたのでしょう。
そうそう、ほとんどは焼夷弾でしたが、何発かにひとつは爆弾も投下されたそうで、祖父の七面六臂の活躍を見ながら、バケツリレーをしていた叔母たちも、死んだと思った瞬間があったそうです。
それは、赤い火をちろちろと噴きながら、ゆっくり降下してくる
焼夷弾をかきわけ、黒光りする巨大なモノが遥かに速いスピードで迫ってきた時です。爆弾、と気づくよりも先に、その黒い物体は轟音を立てて地面に激突しました。
爆発……しませんでした。
それは家の西側ほんの数メートルのところに落下しましたが、地面の奥深くに食い込み、そのまま沈黙してしまいました。不発弾だったようです。この不発弾は、その後ずっと其処にあり、幼い私を驚かす兄の格好のネタとなっていたものです。
今となっては真実だったのか、作り話なのか、私には分かりません。ただ、この時期になると灯火管制の暗い夜に重なって、母や祖父が思い出される、それだけです。