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ふと思い出しました。高校時代の松井が甲子園で全打席敬遠になったこと(【日これ】でも述べられてますが……)がありました。対戦チームの監督は、なぜか責められていたのですが、この時、私はなぜ監督が責められることがあるのだろう、ルールに則った素晴らしい作戦じゃないか、と思ったものです。怪物と言われた松井、優勝候補の一角と言われたチームを葬り去った(しかも単純な作戦で!)のですから、褒められこそすれ、責められるのはおかしな話だと思ったのです。
が、今回のロボコンでは、優勝チームの作戦に少々腹が立ってしまいました。何故なのでしょう。
多分に「判官贔屓」のせいかもしれません。前年度優勝で、優れたクルーを擁し、他チームの戦力分析やら準備も万端、非の打ち所が無い(まあ、だから優勝したのだとも言えますが)、つまりは万全の横綱と、私の目には優勝チームが映ったのかもしれません。よって対戦チームに感情移入してたのでしょう。
また、地方大会の放送を見て、準優勝チームを好意的に思っていたのも、要因の一つでしょう。(たしか、地方大会の決勝戦でも、妨害マシンの前に敗れたような……)
つまりは、本選の決勝以前に、今回の優勝チームを「敵役(かたきやく)」と捉えていたのです。
決して「傷む足を攻めた」のではなく「立ち技しか出来ない相手に寝技で勝負した」のです。 敵のウィークポイントを攻めたのではなく戦略の違いです。
そうなのかもしれません。ただ、その結果「傷む足を攻撃しなかった」立派な奴と映ったのだし、そう勝手に考えたのが日本人的感覚なのかと思うのです。
もちろん準優勝チームの大量得点マシンも小競り合いを捨て、まず得点確保を第一に考えた素晴らしいマシンだと思います。でもあれは一瞬のうちにローソクを全部確保して敵に渡さない、という戦略であって、早いもん勝ちという発想で敵の得点の「邪魔をしている」とも言えます。もちろんぼくはアリだと思いますが。
今にして思えば、ローソクを取りに行った結果が「邪魔をしている」という行為と同等になることと、純粋に「邪魔をする」ために、立ちはだかるバリケードとして妨害している姿は、受ける印象が違ったのだろうということです。
単純にタイムを競い合うもの、優雅さを競い合うものではない、「対戦」である限り「大量得点じゃねぇとつまんねぇよ」という発想は、いかなスポーツであってもゲームをダメにする発想だと思いますがいかに?
その通りなんだと思います。 s.sawada氏が、
そういう意味で、私にとってロボコンは「ショー」であり、つまりは私の方が純粋でない見方をしていたと言えるのかもしれません。
と述べているように、私も「ショー」として見ていたのだと思います。ただ「ショー」として考えた場合に、優勝者に共感できない(もっとも判官贔屓で見ていれば共感はありえないかもしれないけど)ということは、「ショー」の構成に問題があったか、「ゲーム」のルールに問題があったということかと思われます。「ショー」の構成という点では、もっと積極的に妨害しまくる作戦を立てたチームが少なかったこと、お互いに妨害しあって泥まみれの試合が繰り返されていれば、優勝チームの特異さ加減は薄まったような気もしますし、そうならなかったのは「ゲーム」のルールに原因があったのかもしれません。
<!-- そういえば妨害した結果、対戦チームのマシンを場外に押し出してしまった試合がありましたが、協議の上失格となりました。これは事前にそういう事態を予測していなかったものと思われ、ルールには不備な点があったのではとも思うのです。或いは、妨害について「ショー」としての見栄えを考慮した「ルール」となっていなかったのかもしれません。たしかに見栄えという点では、瞬時にローソクを全部かっさらい(自らの得点とするためにですが)、相手に取らせないのは、見栄えの良い妨害ですが、単に通せんぼして、相手マシンを立ち往生させるのは「ショー」的に見栄えしなかったということなのでしょう。松井敬遠策も同じことで、「ショー」的には見栄えしなかったということなのですね。 -->
要するに、私はNHKのロボコンという「ショー」を見て、勝手に解釈したあげく、なんとなく納得できない結果に腹を立てたのでしょう。いけませんね。
もちろん、「ゲーム」の勝者としては、優勝チームは賞賛に値すると思います。