カナかな団の躁鬱

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日記

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  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年02月14日 16時13分

お国の唄というのがある。たとえば「イギリス風の唄」とか「アイルランド風の唄」なんかがあって、もちろん「日本風の唄」がある。おそらく外国人から見れば「インド風の唄」や「ザイール風の唄」に混じって「日本風の唄」があるんだろうが、日本人からみれば全く異質の存在だ――日本風の唄は、非常にダサい。断固ダサいと主張したい。

「イギリス風の唄」とか「アイルランド風の唄」とかも、現地の人にとっては案外全く異質の存在だったりして。でもって、やっぱり非常にダサいものだったりして。イギリス人に聞いてみないと分かりませんが。

まあ、「唄は世につれ、世は唄につれ」なので、古い唄が残らないのは当然の結果のような気もしますが、いやいや、諸外国では古い唄が残っているのだ、という気がするのなら、それは「古い唄」を新しい世代に継承しているからなのではとも思います。どのくらい古い唄が民族を代表するような唄なのか、という問題もありますが、学校教育等でそういうものを教えなければ、あっさりと忘れ去られていくでしょう、というより現在、日本では見事に忘れ去っているのだと思います。

また、違う世代が一堂に会したとき歌う唄がある集団というのは、宗教とか地域とかの結びつきが強い集団、民族的な結束の固い集団であって、例えば現代日本人の中から、無作為に抽出した人が一緒に(楽しく)歌える唄というのは無くて当然という気もします。

国を代表するような唄をどう捉えるかというのは、その国の民としての心を持っているかどうかがポイントであり、国としての誇りを喪失してしまった日本人にとって、音階が華々しくないし、リズム感がない。単調で、蕩々と曲をこなす感じで、楽しみなく平たい曲をダサいと感じるのは当たり前と言えるのではないかと思います。

そういう意味で、今、日本では国を代表するような唄を模索中なのである、とも言えるし、その唄を新しく創造していくのか、それとも古い唄を再び理解できるようにしていくのか、教育という問題も含めて、私達は考えていかねばならないと思うのであります。

ていうか、日本はそもそも牧歌的な国じゃないし、という気もするし……。


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