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定義されたこと以外を選択することが『間違い』だと思います。俺の例え話を聞いて下さい。
聞きませう。
しかし、『間違っている、正しくない』の後に『でも』という言葉が続くのが、人間社会の面白い所でもあるよなあというのが俺の意見です。
面白い所
なのかどうかは、別として、正しいから人間社会
に受け入れられるかというと、そうではないのは、たしかに周知の事実ではあります。例えば、MacはWindowsより理に適っていると思われますが、出荷台数の差は歴然で、正しくない(まあ偏見かも)Windowsに圧倒されています。<!-- 陳腐な例えですいません。-->
理に適うものを選択するというのは、茨の道です。厳しく険しいのです。それは、まさにstrictな人生と言えるでしょう。
正直者は馬鹿を見ると言われます。それなのに、正直に生きていくということは、大変凄いことなのです。尊敬に値するのです。根性がなければ出来ない行為なのです。
時に信者呼ばわりされたり、迫害されることすらあるでしょう。しかし、理に適うから選択する、その信念こそ、人間の生き方として大事なことなのです。理に適っているものを選択することにより、かえって困難が増すことは十分考えられるのにも関わらず、そうしようとするのが人間の凄いところなのです。しかし、多くの場合、困難を避けるため、正しくなくても問題無い道であれば、それで良しとする傾向が強いのは否めません。
正しくなくても生きていける、なのに正しく生きようとする、その崇高な心意気を否定することなど、私には出来ないのです。
さあ、言つてゐることが、さつぱり分からなくなつたぞ。春だからな。