カナかな団の躁鬱

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日記

581 論理構造と装飾の分離がもたらすもの

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年01月20日 15時28分

初級Webデザインアドバイス 備忘録 平成15年1月19日】で他にも、色々書かれていますが、基本的に、私は以下のように考えています。

CSS なんて、ただの飾りです。偉い人には、それが分からんのです。かつて私は、Web で何かを公開するにあたり、装飾は制作工程において 1% である、言い換えれば、装飾は 1% の価値しかないと述べました。

この時点で、ほーむぺーじ の制作というのは、99% 完了ということになる。「何か」に妥当なマークアップを施したら、ほぼ完成なのだ。残り 1% は装飾なのだが、無くてもよいのだ。偉い人には分からんのです。この 1% でしかない装飾のために、妥当なマークアップを避け、恐ろしい数のブラウザや、膨大な環境で表示確認するのは、愚か者のすることだと思われるのだが、どーよ。

つまり、妥当な構造を持ち適当なマークアップを施した文書さえあれば、それで利用者に対する制作者の責務は果たされているものと考えています。

扨、制作者は WWW で何を公開したがっているのでしょう。ひとつは情報でしょう。制作した画像や音楽等の作品、或いは自分だけが知りえた情報、或いは広く知らしめたい情報、それらを単純に公開したいという欲求、さらには公開したことで得られるコミュニケーションを求めて、所謂ほーむぺーじを制作公開するのではないかと考えられます。ここまでなら、上記のように「妥当な構造を持ち適当なマークアップを施した文書」を公開するだけで好いはずです。

しかし、制作者の中には、より良く自分を(或いは作品を)見せたい、魅力的にしたいという欲求があったりします。そうなった時、制作物に装飾を施したくなるのです。この欲求は非常に強いがため、私は未だにデフォルトで制作者の CSS が正しく適用されることを願い、上記のような事を書き乍も装飾を捨て去ることが出来ずにいます。そして、酷い場合には、制作物に手を加え、テーブルレイアウトや不思議マークアップや自由な制約の HTML により、制作物の利用性を著しく損なう結果になったりしているのは、世の多くのほーむぺーじを見れば明らかです。

つまり、制作者は、情報と装飾の 2 つを満遍なく公開したがっていると考えられないでしょうか。

論理構造と装飾を分離せずに、この 2 つを公開すれば、利用者にとって不便であることは、よく言われていることです。しかし、論理構造と装飾を分離した場合、利用者は装飾の最終選択権を持つ訳で、逆に言えば、制作者にどのような装飾を施されても、利用者にとって不利益にはならないということです。

この項、続きそう。


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