カナかな団の躁鬱

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日記

623 サービスカウンタの中の人

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2003年03月17日 16時39分

DIVE】の制作者スタイルシートは、ここのところグリーンディスプレイを模しているようです。その昔は、目に優しいとかで、緑色 CRT 全盛だった時代があったのですが、今見ると、眼がチカチカしますね。色温度 5000°K のガンマ 1.8 、1670 万色カラーでデスクトップパターンはグレーなんつーのが、個人的には楽です。

扨、その DIVE に書かれていた話。巧く要約出来ないので、全文引用。

こないだ圖書館行つたんですよ、圖書館。そしたら南國のサルがもとへ子供がキヤツキヤキヤツキヤと相變わらず騒いでゐたがもう慣れた。そんなことより聞いてくれよ。
私が行つてる圖書館には「返却」と「貸出」のカウンタがあつて、その「貸出」のカウンタにこんな事を書いた紙が下がつてゐたのだ。

となりのカウンターでも貸出できます

實はここの圖書館では返却も貸出もどちらのカウンタでも出來る。「返却」「貸出」と言ふのは恐らく單なる名称に過ぎない。わたしは「返却」カウンタでも貸出してもらへる事は知つてたので最初見たときは「何だこりや」と思つた。なんでわざわざこんな張り紙してるのかと。しかししばらくしてこのビラの意味が分かつた。兩方のカウンタに司書が居ても、「貸出」にだけ客が並んで、誰も「返却」のところに行かうとはしない。さうなると「返却」側の司書が「こちらにどうぞ」と並んでる客に呼び掛けてゐた。言はれて後の客は漸く「返却」のカウンタに貸出の手續きに行く。甚だしい時には「返却」のカウンタには司書が居て「貸出」のカウンタには誰も座つてゐなくても「貸出」の方に客は並ぶ。「貸出」に客が居るのを見て「返却」の司書が「貸出」に行く、と言ふ塩梅。つまりこの張り紙は「返却」でも貸出は出來ることを知らない客に對しての周知と言ふわけだ。

呆れた。圖書館にではない。客にである。

スーパーとかなら客が並んでないレジに向かうでせうに、何故「貸出」のカウンタにしか行かないのか。人も居ないカウンタの前で思考停止してぽつねんと立つてる暇があつたら先づ「返却」のカウンタに行つて「ここでは借りられませんか」と尋ねてみたらどうですか。

その程度も考へが及ばない帽子の臺でしかないやうなどたまぢや本を讀むだけ無駄と言ふものです。

松風 - 今の言葉 】で、 返却カウンタで貸し出しできるのなら、「貸出・返却カウンタ」とでも書いておけばよろしい と、単純に結論が述べられていますが、ここでは、 何故「貸出」のカウンタにしか行かないのか を考えてみましょう。つまりは、『そのアクションでどういう結果が期待できるか』を考慮した上でのユーザーの行動というものを考えてみましょう。

簡単な例を挙げます。煙草を買おうと思っているユーザーは、ジュースと煙草の自動販売機のどちらにコインを投入するでしょうか。大抵は煙草の自動販売機の方です。ジュースの自動販売機にいきなりコインを投入したり、ジュースの自動販売機に向かって「こちらでは煙草の購入はできませんか」と尋ねたりはしません。ユーザーは、ジュースの自動販売機にコインを投入したり、或いは尋ねてみたりしても、煙草が出てこないのを知っているからです。何故か。それは、既成概念や慣習により、煙草やジュースの見本のある自動販売機は、その見本の実物を販売するだろうという予測を立てているからです。

パソコンでシステムを終了する時には、『システム終了』と書かれたボタンをクリックします。『再起動』や『キャンセル』はクリックしません。何故か。『システム終了』という選択肢こそがシステム終了なのであり、『再起動』や『キャンセル』では同様の結果が得られないであろうことをユーザーは予測するからです。『再起動』や『キャンセル』のボタンに「ここでは終了できませんか」などと尋ねてみたりはしません。『システム終了かもしれない』『再起動かもしれない』『キャンセルかもしれない』ボタンであれば、全てを試す(つまり尋ねてみる)可能性はありますが。

つまり、「貸出」「返却」と書かれていれば、書かれた内容の作業が実行されるのをユーザーは期待するのであり、書かれていない内容の結果を求めたりはしないだけの、分別があるのです。その分別に従い、ユーザーは貸出なのに「返却」のカウンタに並んだりはしないのです。

もっとも、これは、相手が機械というシステムなので、無用の混乱を避けるため、ユーザー側が譲歩しているともいえます。そういうシステムは融通が効かないことを、既成概念としてユーザーが受け入れているからです。もっとユニバーサルなシステムなら、ジュースも煙草もシステム終了も同じ自動販売機やパソコンのたったひとつのボタンを押すことにより、ユーザーが望む結果が正しく得られるはずですが、現状では出来ない相談であることを多くのユーザーが受け入れているというわけです。

しかしであります。相手が機械というシステム、つまりは、中身の見えないブラックボックス的システムであるから、ディベロッパー側が用意した選択肢に、ユーザーは従順になるわけで、中身の見えるシステムであったり、もっとユニバーサルなシステムを仲介して行動する場合には、従順である必要性は低くなります。例えば、私の部下に煙草を買ってくるように命じれば、どの自動販売機にコインを投入するかについての問題は、私の手を離れます。もちろん、私の部下が「ガキの使い」ではない場合に限りますが。更に部下ではなく、自動販売機の前に店員が立っていれば、店員にコインを渡すことにより、部下を使う場合と同様、コイン投入の問題に頭を悩ませる必要は無くなるわけです。

部下や店員は、人間です、大抵の場合。そして人間は、おそろしくユニバーサルなシステムです。無理な要求にも可能な限り結果を出します、「ガキの使い」以外は。「ガキの使い」としつこいですが、「ガキの使い」は人間でありながら、汎用性が低く、単機能専用システムなので、人間とは別に扱う必要があるからです。

扨、件の図書館のサービスカウンタは、中身の見えるシステムだろうと思われます。サービスカウンタの中の人がいて、作業を行っていると思われます。目隠しがしてあって、小窓しか開いていないのなら、ブラックボックスと化しているので、「貸出」「返却」の表示に従順にならざるを得ませんが、中身が見えるシステムで、そこに人間がいるのなら、 ここでは借りられませんか と尋ねてみるのは、有効な選択肢であるはずです。然るに、 何故「貸出」のカウンタにしか 並ばないのでしょう。それはひょっとしたら、図書館のサービスカウンタの中の人は、ユーザーにとって、「ガキの使い」としか思えていないのかもしれません。融通の効かない、機械と同じ単機能専用システムと認識されてしまうので、「貸出」「返却」の表示に従順になっているのではないでしょうか。

高度に分類され、たくさんの窓口を並べる役所や総合病院 <!-- ちなみに私の知っている病院では、総合受付→各科受付→診察→治療→会計→精算→予約→薬局とおそろしいほど窓口が分類されていて、全てに「ガキの使い」が常駐しています。 --> では、全ての窓口が単機能専用システム化され、窓口を間違えると一からやり直しとなります。こうしたパソコン的システムに慣れたユーザーは、無用の混乱を避けるため「貸出」「返却」の表示に従順になっているのではないでしょうか。現在の社会では、多くのユーザーにとって、サービスカウンタの中の人は「ガキの使い」でしかないのです。中の人が「ガキの使い」ではなく、ユニバーサルな人間であることをユーザーに知らしめるには、「貸出」「返却」の表示を「貸出・返却」に改めなければならないのです。それが、一般に、ユーザビリティーと呼ばれているものの正体であったりするような気もします。

確かに、便利なようで便利でないのです、現代のシステムの多くは。サービスを受けるはずのユーザーが、実はディベロッパー側にサービスしているという事実。そしてそれは、或る意味、思考停止と言われても仕方の無い行動に映ることなのかもしれません。

<!-- 「無用の混乱を避ける」というのが、もうひとつのキーワードのような気もしますが、訳分からなくなったのでお終い。 -->


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