つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。
【次期IEはスタンドアロンで--マイクロソフト、方針を大転換 - CNET Japan】ということで、既にあちこちで話題になっていますが、WinIE7 なんだそうです。世の CSS 使いの方々にとっては、どのくらい仕様準拠しているかが気になるところでしょうが、まだ世に出てないものを(本当に出るのかも含めて)アレコレ言ってみても始まらないので、言いません。<!-- まあ、もし出て来るのなら、視覚整形確認用 IE7 をインストールするマシンを確保しとかないとならないわけで、ナニです。-->
扨、最近思うのだが、所謂正しい HTML というか、Web リソースの在るべき姿について語るのは、人生の在り方について語るようなものだなと。もう、道徳の領域なんじゃないか、いや、既に宗教か。故に、あながち『信者』という表現も間違ってないのかなと。
正しい HTML を、メリットとして語ったところで、メリットなんてものを持ち出した時点で負けなのではなかろうか。損得勘定の前では、正しい HTML の持つメリットなど、あまりにか弱い。また、ユーザビリティとかアクセシビリティとか、そういったものにどれほど正しい HTML(或いは、文書構造と見栄えの分離、strict な HTML と CSS )が貢献するのかといえば、UA のお粗末な実装や、リソースの現実的な利用方法を持ち出されると、ややもするとあっさり崩壊する。
道徳的な生き方として、正直に生きる方法が有る。ところが『馬鹿正直』『正直者は馬鹿を見る』という言葉が有るくらい、厳格に正直に生きても、損得勘定的メリットは非常に薄い。臨機応変、現実的に対応する生き方の方が、多くの場合支持されるであろう。しかし、嘘吐きより正直者であるべきだと、多くの人は考える。考えるが、そういう生き方は、出来ないことの方が多い。とても困難な道だからだ。正に『馬鹿正直』と呼ばれるような生き方をしているものは、何かの『信者』でしかない。
宗教も似たようなもので、厳格な信者として生きようとすると、メリットは薄い。「心の平安が得られるじゃないか」などと言われる方も居ようが、厳格になろうとすればするほど、むしろ葛藤の日々になってしまったりする。脱落者も多い。戒律を守らない者、禁忌を犯す者、堕落してしまう者。宗教的敗者は世に溢れている。
正しい HTML 或いは Web リソースの在るべき姿について語れば、結局、それは仕様としてそこに在るが故に、守らなければならない、という点に尽きてしまうのではないか。メリットも来たるべき Web の明るい未来像も糞も無い。仕様に準拠できないということは、宗教的敗者か愚か者でしかない。愚か者は許される。無知なだけだからだ。しかし、宗教的敗者は許されない。よって堕落してしまった者は、あれこれと理由を並べて、教義を否定し自分を正当化しようとする。が、しかし、宗教的敗者を責めることは出来ない。より厳格であるということは、非常に困難を極め、その道を歩むのは、まず不可能に見えるからだ。
信者と呼ばれることを嘆いてはいけない。それは、より厳しい道を進み、より高い場所へと進んでいることの証だからだ。信者でないことを嘆いてはいけない。信者でない者は世に溢れている。敗者ではあるが、蔑まれるものではないからだ。
なんだか、よく分からないって?いいんだよ、気にするな。
「『正しい HTML というか、Web リソースの在るべき姿について語る』とはどういうことか。」を質問文、「最近思うのだが〜」から「〜いいんだよ、気にするな。」迄を解答文として、【 Jess : 日本語小論文 評価採点システム】にて、採点。
Jess 評価結果
- 修辞 3.6 ( 5 )
- 長すぎる文があります。
- 漢字の使用がやや少ないように見受けられます。
- 埋め込み文が全体の分量に比べて多いように見受けられます。
- 語彙の多様性がやや不足しています。
- 論理 2.0 ( 2 )
- 内容 2.0 ( 3 )
- 質問文との関係がやや希薄であるように見受けられます。
- 分量過少による減点 0
- 最終得点 7.6 ( 10 )
ちなみに、解答文から、最後の一行「なんだか、よく分からないって?いいんだよ、気にするな。」を削除すると、内容が 0.1 ポイント下がって、1.9 になります。