カナかな団の躁鬱

つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。



日記

891 所謂正しい HTML の 2

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年02月19日 17時31分

つれづれ。

そもそも、『正しい HTML』そのものについてでは無く、『所謂正しい HTML 論争』という論争自体を如何に考えるか、が主題だったのに、途中で気分が好くなって、しまいにゃアジ演説になっているあたり。<!-- 愚か者は許される。無知なだけだからだ。しかし、宗教的敗者は許されない。 のあたりで、調子づいてます。-->

そして、正しい HTML の定義をしていないので、非常に曖昧。『所謂』とつけたのは、定義が面倒なので、そのへんの誤魔化しなんですけれども。

ところで、所謂正しい HTML 論争ですが、2 つのレベルがあったように思います。まず、W3C 勧告の仕様(或いは ISO ・ JIS 規格)に添ってマークアップするか、それとも不思議マークアップ或いは自由な制約 <!-- どっちも死語っぽいな --> かというのが、第一のレベル。仕様に添った(つまり valid )マークアップをする上で、如何にマークアップすべきかという論争(仕様の解釈論議)が第二レベル。

で、その第一レベル。不思議マークアッパー <!-- ああ死語だ --> に対し、「仕様が有るんですよ。仕様に従ったほうが良いですよ。」と忠告します。すると、「仕様に添っていない現状でも、さほど不利益が無いのに、どうして仕様に添う必要があるのか。」と感じます。これって、「神様なぞ信じていなくても、別に生活に困ってないのに、何故に入信せにゃならんのだ。」っていう感覚と似ています。宗教の勧誘。尤も、仕様に強制力が有って、明確な罰則が有れば、こうはなりませんが。例えば、仕様に準拠していないと、一切表示されない、或いはもっと過酷に PC がドカンと爆発するとか。目に見えて、実感しやすいデメリットが存在すれば、容易く仕様準拠するわけです。

W3Cが策定しているHTMLの仕様は、環境への非依存と後方互換性についてかなり深く(素人が及びもしないほどに)考慮された設計となっています。要するに仕様に従ってHTML文書を書けば、それだけである程度誰にでもどこからでも(古いブラウザからでも)利用し易いページになるわけで、だからこそ仕様に妥当なHTML文書には強みがあるのであり、自分もそのようにしている次第です。

上記引用部のような、想像しなければ分からない、実感しづらいメリット・デメリットでは、「神様を信じないと地獄行きだぞ」と同じで、正に宗教じみてしまうのではないかと。何故実感しづらいのかと言えば、多くの場合、ブラウザで閲覧することだけを念頭に置きます。というか、それ以外の利用方法など考えずに、Web リソースを制作しています。現状、有り難いことに、ブラウザの大半を占めるのは、WinIE です。ブラウザで閲覧出来れば良いということは、WinIE で閲覧出来れば良いということになります。ほんの少数の利用者が利用できなかった程度のデメリットでは、仕様を勉強するほどの動機になりづらいのが一般的でしょう。

将来の事をを考えれば、仕様に従っていない文書が、利用不可の文書になってしまう危険性は存在します。それについては、非仕様準拠者達にも、恐らく理解可能なデメリットと捉えることが出来ることでしょう。但し、先の事なので、漠然とした不安でしか有り得ず、「地獄行き」並の脅し文句となってしまう可能性が有ります。

そういう考えでいたので、「"正しい HTML の持つメリットなど、あまりにか弱い"」という言葉が意外であり、また、「正しいHTMLのメリットが弱い点」というのが具体的にどういうものなのか、未だに適当な例が思いつけずにいます。

という問いに回答すれば、以上の様なことから、 あまりにか弱い と書いたのです。なんて、すいません、ズルしました。考えるのが面倒だったので、先の記事には書きませんでした。が、今思いついたので、書いときます。

ユーザビリティは文書の設計にも左右されると思いますが、アクセシビリティこそは正しいHTMLであることが大いに有利に働く点ではないでしょうか。現在開発されているウェブブラウザは、おそらく殆どがHTML 4.01以降のHTML仕様に基いて設計されているわけで、そのようなブラウザが最も適切に処理できるのは、やはり仕様に沿って書かれたHTML文書なのではないかと思うのですが。

それは、その通りなんですが、なんたって『WinIE で閲覧出来れば良い』ってことになると、アクセシビリティという概念そのものが消失しちゃうと、思うんです。将来については、先に書いたような理由で同じです。

そして、第二レベル。如何にマークアップすべきかという論争。仕様に従うのは、既に大前提として双方の了解があるが、瑣末な部分で仕様の解釈に相違が発生する場合。他所から見たら、信者同士の議論なので、宗派争いに見えなくもない。まあ、好きでやってるような気もしますが。

で、結局、メリットとかデメリットとか仕様準拠する理由は色々有るけれど、突き詰めると『仕様が有るから、それに従う』ってことしか残らないように思えたわけです。昔、誰かが言っていたけれど、 java script やその他のプログラムは、仕様に従って書くのに、HTML だけ仕様に従わなくても良いってのは、おかしいじゃないか っていう言葉を思い出したわけで。その時は、それだけじゃない、より正しいからそれを選ぶんだ、なんて格好つけてましたけど、今になって思えば、HTML でマークアップするということは、データとしての取扱いやすさという面のみの考慮でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないなと。メリットとかデメリットとかユーザビリティとかアクセシビリティとか、全部引っ括めて、機械で処理するんだから、お前ら仕様に従えよ、ってだけの話だなと。

で、機械で処理するんだから、より処理しやすくしといた方が好いわけで、仕様書には詳しく書いてないけど、こう解釈した方が好いんじゃないかってのが、第二レベルの議論だよな、と。

何れにしろ、『ほーむぺーじ』が『ブログ』のことを指す言葉になりつつある昨今、こんな話もなんか色褪せたなあ、と感じてたり。


はてなブックマークのコメント一覧


ページ操作


掲示板情報

案内 カナかな団の躁鬱ご利用の手引き