カナかな団とは何か。


序文

Macintoshについて語るとき、多くの人が、その「直感的操作」という点を口にする。Finder操作の理解しやすさ、DOSのように意味不明なコマンドを並べることなく、意図した動作をすることができるという利便性について語られる。まさしく、その通りだと私も思う。難解な語句や暗号めいた言葉を使うことなく、己を表現することができる、素晴らしい道具であると、断言できよう。

しかし、その素晴らしい道具を、ないがしろにしようとする動きがでてきた。いわゆる「ローマ人の手先」である。彼らは美しいJISキーボードを破壊し、世界中のキーボードをASCIIキーボードに変えることを企む悪の秘密結社である。彼らは「直感的操作」の象徴でもあるカナ入力を否定し、ローマ字入力を使うことが特徴だ。彼らに洗脳され改造手術が施されると、美しいJISキーボードから「カナ」を消去し、揚げ句の果てにはASCIIキーボードに換装するなどという神をも恐れぬ行為に走ることがある。まさしく嘆かわしいことである。

直感的操作」とは何か? それは、まわりくどい操作なしに、作業を為しえることである。「つついて選ぶ攻撃」や「つかんで離す攻撃」に代表されるような知覚に直接訴えかけるモノなのだ。

ところで、DOSはもちろん、Windowsの最大の弱点は何であろう。DOSの場合は複雑な命令を覚えなければならないことだが、Windowsはどうなのか? たしかに見た目はMacintoshによく似ている。うまく化けたものだ。しかし、細かいところでWindowsは間違いを起こしている。意図せず現れるショートカットや、コンピュータの中に、さらに、マイコンピュータなるものが存在することなど、枚挙すればキリがないだろう。然るにWindows最大の欠点は、デフォルトのキーボード入力が直接英数なるものに固定されている点である。起動する度、新しいWindowを開く度に、入力設定を変更しなければならないのである。

Windowsにおいて、日本語入力するためにはどうするのか知っているかな? IM設定パレットをマウスでつついて設定するか、キーボードから「Alt」+「漢字(半角・全角)」というわかりづらいショートカットを使うのである。「ひらがな・カタカナ」「変換」「無変換」などというキーは、なんの意味もないのである(Windowsの名誉のために言っておくが、日本語入力に切り替えた後では意味がある)。見えづらい側面に書かれた「Alt」やら「漢字」キーを発見できなければ、日本語入力ができないのだ。

諸君、再度言おう。「直感的操作」とは何か? 単純な予想で結果を想定し、それが、そのまま具現化されることである。

またWindowsの話で恐縮だが、MacintoshユーザーがWindowsを小馬鹿にするときによく使われるのが、「~(チルダ)」であることは、よく知られていることだ。Windows機で一般的に使用されている日本語キーボードでは、キーに「~」と刻印されているにも関わらず、そのキーを押しても「~」が入力されず、実はとなりのキーを押せば入力されるのだが、キーを押した通りに入力されない、これは問題だ、まさに「単純な予想で結果を想定し、それが、そのまま具現化されること」が出来ていない、つまり直感的ではない、ということなのだ。

話がそれてしまったようだ。本題に戻そう。

諸君は、「日本語」と入力するとき、どのように入力してるかね?

「に」「ほ」「ん」「こ」「゛」と入力している?

それは結構。しかし、諸君らの近くには「み」「に」「く」「ら」「み」「み」「き」「ら」、と入力しているものがいるはずだ。「日本語」と入力するために「みにくらみみきら」とキー入力する・・・・判じ物のようだ。もちろん彼らは「N」「I」「H」「O」「N」「N」「G」「O」とキー入力しているつもりなのだが。

日本語での表記はおおむね漢字、ひらがな、カタカナ、そしてAlphabetで表されている。もっともAlphabetについてはカタカナ表記されていることが多い。諸君らが普段目にしている雑誌や新聞も、多くはこの方法で表記されていると思う。ローマ字で書いてあるものは、あまりないはずだ。然るに、なぜコンピュータのキーボード入力に「みにくらみみきら」などとなるローマ字入力を使うのか?

鉛筆を手に取って、紙に「にほんご」と書けと言われたら、諸君は、通常「日」「本」「語」と直接漢字を書き込むか、あるいは「に」「ほ」「ん」「ご」とひらがなで書くであろう。「NIHONNGO」と書くのはよほどのヘソ曲がりか、ローマ人の手先だ。耳で「にほんご」という音を聞き、それが「にほんご」あるいは「日本語」であると認識したら、そのまま鉛筆で紙に書く。まさに直感的な動作である。ところが、「にほんご」という音を「NIHONNGO」と書くのは、一旦頭の中で、ローマ字に変換しているのである。ローマ字という暗号に翻訳しているのである。これは、DOSでフォルダ(ディレクトリか? )の中身を見るのにDIRとコマンドを打つのと同じだ。Macintoshならフォルダをマウスでつつけば済む作業なのに、DIRなどという魔法の呪文を覚えなければならない、それはすでに「直感的操作」などとは呼べない。

子供に「くま」と入力させてみよう。どこを押すのかたずねてくるだろう。そのときどう答えるか。キートップに「く」と刻印されているところを押すと、「く」と入力される。同じく「ま」と刻印されているところを押すと「ま」と入力されるのだ、と教えれば、子供らはすぐ理解するであろう。しかし、ローマ人の軍門に降ってしまうと、こう答えねばならない。キートップの「K/の」と刻印されているキーを押し「U/な」を押して、つづいて「M/も」「A/ち」と押すのだ。なるほど「くま」と入力はされる。しかし、子供らが今押したキーの中にはどこにも「くま」と関連した文字はない。「のなもち」と順番に押したら「くま」と入力された、不思議だ、そういう気持ちだけだろう。

かな入力した子供には、次に「きつね」と入力してもらおう。カナかな団の子供らは先刻の経験からキートップの「き」「つ」「ね」を捜し、入力するであろう。だが、ローマ人の企みに乗せられてしまった子供らは、また質問してくるのだ。しかたなく「K/の」「I/に」「T/か」「U/な」「N/み」「E/い」というキーを教えなければならない。そして、またしても、ここに「きつね」に関連した文字は出てこない。出てきたのは、「のにかなみい」という不思議な呪文だ。ローマ人の手先に踊らされている子供らは、こう思うだろう。「くま」とか「きつね」と入力するのには、文字の組み合せによる不思議な暗号(呪文、コマンド)を覚えなければならないのか・・・と。

暗号や呪文やコマンド?

それは、「直感的操作」というものに必要なものだっただろうか? 賢明な諸君は、お気づきであろう。そういう暗号を排除してこそ、「直感的操作」なのだということを。

もう一度言おう。「直感的操作」とは思った通りの結果を簡単な手順で得ること。けして、「~」が刻印されていないキーを押さなければ「~」を入力することができないような操作のことを言うのではないのだ。ましてや日本語を入力するために、わざわざローマ字に翻訳しなければならない、なんてのは、とても「直感的操作」とは呼べないのだ。

さあ、今からでも遅くはない。「ローマ人の手先」の陰謀をくいとめろ。君のインプットメソッドの環境設定を変えるのだ。入力方式を「かな入力」にするのだ。

未来は明るいぞ!!


こぼれ話

ところで「アップル」って入力するのに「Apple」ってインプットしたら、「あっpれ」ってなってしまうのはローマ人最大の弱点だな。

カナかな団はMacintoshの「直感的操作」を守るため、「ローマ人の手先」の魔の手から日本を救うため日夜闘っています。(って、ど〜やって? )

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Windowsの方、読みにくい小さい字ですいません。ごめんね。

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