ショッカーの午後

ショッカーの憂鬱 その12 警視庁捜査1課

テレビのニュースは、相変わらず要を得ない情報を繰り返し放送していました。街中で堂々と起きた要人襲撃事件に、戦々恐々としながらも、情報があまりに少なすぎるため、退屈さすら漂う番組になってしまっていました。死神博士は自分の研究室でお茶を飲みながら、ソファーでくつろぎながらテレビを見ていましたが、そこへ首領が入ってきました。やけに上機嫌です。

「おほほ、やっとる、やっとる。警察も大変じゃろて。」

「…首領、私は反対したはずですがね。」

「ほぉ?わしが命令したとでも?」

「他に誰がやるんです?」

「馬鹿言ってもらっちゃ困るな。まだ犯人は捕まっちゃおらんし、絶対に捕まらん。うちとは関係のないことなのだよ、ドクター・コルシホン。」

首領は死神博士を懐かしい名前で呼びました。死神博士は眉をぴくりと動かしましたが、それきり黙ってお茶をすすっているばかりでした。

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警視庁捜査1課第8応接室。警視庁捜査1課には公式には7つの応接室があります。そのどれにも属さない8番目の応接室。戦時下や大災害時以外には使われることない、まぼろしの応接室です。その部屋の中、入口の扉の両脇には、公安庁強行2課の凶嫁舞信玄刑事と星野スミレ刑事が立ち、ソファーに強行2課長広末達之が座り、テーブルをはさんで、警視庁捜査1課長清野六郎と並んで体格のよい金髪の男と少々恰幅の良い黒いスーツを着た男が座っていました。捜査1課長が口を開きました。

「紹介しましょう。こちらは、ICPOアジアの慶元刑事とイェロツォン刑事。」

それぞれが立ち上がって、名刺を交換しました。

「ICPOアジアのイェロツォンなり〜。」

「ICPOアジア日本支局の慶元柄無造です。略してケイエムと呼んでください。」

全員がふたたび着席すると、達之が口火を切りました。

「清野課長、状況を詳しく知りたいですね。」

清野は黙って資料を差し出します。達之は、資料のページをめくりました。被害者の氏名と顔写真、簡単な経歴が載っています。警護官4人、死亡。運転手、死亡。警察庁長官、重体、長期に意識回復の見込みなし。民間人、身元不明、重傷、短期に意識回復の見込みあり。使われた凶器、22口径、トカレフ・リボルバー、これは遺留品として発見、及び、45口径、こちらは不明のまま。

「…ふむ。それで、目撃者は?」

資料から一旦、顔を上げて達之が聞きます。今のところいない、と清野。ふたたび、資料に顔を戻すと、ぱらぱらとページをめくって、遺留品のところで止まりました。

「この凶器、めずらしい銃ですね。あまり、お目にかからないヤツですねぇ。」

ここで、達之は言葉を区切ると、ちらりとイェロツォンの方に目をやりました。

「…それで、遺留品の指紋は?」

「べたべたついていたが、該当者なしだ。ライフルマークも該当はなかった。」

「ふふん、前科なしですか。いやらしいな。犯人はだいぶ射撃の腕がいいようだ。長官と民間人を除いて、全員、頭部に1発でしとめている。長官は、わざと外したのかもしれないな…。」

達之は、テーブルのコーヒーを一口すすりました。

「清野課長、この民間人、意識はいつ戻ります?」

「いや、意識は戻っている。。」

「なんだ、じゃ、話は簡単だ。意識が戻ってるなら、調書とればいいじゃないですか。それとも、もうとったんですか?」

「未だ調書はとっていない。というより、とれないのだ。この民間人、ひとことも喋らんのだよ。」

清野はお手上げという表情をしました。ひとことも喋らない…?

達之は怪訝な顔で、考え込みましたが、資料の写真を剥がすと、扉のところに立っていた星野スミレと凶嫁舞信玄を呼び、身元を割り出すよう伝えました。二人は写真を持って部屋を出ていきました。

「ときに、清野さん。まだ、なんか隠してますね。」

達之は民間人の所見を見ながら、言いました。

「この男だけ、45口径だ。現場から数百メートルの路地で発見ってなってますが、犯人が逃亡中に撃ったんですか。」

清野が何か言おうとしましたが、そのときイェロツォンが口を開きました。

「私が撃ったなり〜ん。」

達之は、驚きもせず、ふふんと鼻をならしました。

「状況を説明してもらおうか、イェロツォン刑事。」

「私は北鮮からの武器密輸ルートを追っていたなり。上海経由で日本へ上陸した拳銃の1挺を追っていたら、現場にでくわしたなりよ。」

「それで、現場は目撃したのか?」

イェロツォンが説明を始めます。彼は、上海で北側の人間と頻繁に接触する日本人をマークしていました。男は横浜のミッキーと呼ばれる謎の貿易商で、そのミッキーの帰国にあわせて日本へやってきたのでした。ところが、ミッキーは新宿で何かの取引の後、姿をくらまし、杳として行方がわからなくなってしまいました。イェロツォンは情報を求めて、とりあえず浅草の安ホテルに宿をとっていた矢先の事件だったのです。

彼の職業は体力勝負ということもあって、毎朝ジョギングをするのですが、ちょうど現場のマンションと公園の反対側を走っていたら、銃声が聞こえ、あわてて現場へ戻る途中、裸の女が自転車で逃亡しようとしているのが見えたのです。先回りをして路地の一角で追いつき、発砲したということでした。

「じゃ、君がそこにいたのは、まったくの偶然だったわけか。」

「まあ、そういうことなり〜ん。ただ、犯行に使用された銃は私が追ってきたうちの1挺ですが…。」

「裸の女ねぇ…。裸で、現場に隠れていたんだろうか。清野課長、遺留品に衣服はないようですが?」

「衣服は見つかっていない。それと周辺の聞き込みで、逃走中の自転車の女は、たしかに何人かが目撃したと話しているんだ。だがね、広末君、裸の女ってのは皆覚えているんだが、特徴となると、てんで駄目なんだ。インパクトが強すぎて、細かい点になると、さっぱり…。」

「イェロツォン刑事、君はどうなんだ。」

「はぁ、実は私も裸にどぎも抜かれたなり〜ん。身長は160から170センチ前後、髪は金色で短いってことくらいしか、覚えてないなりよ。また会っても特定できるかどうかは自信ないなり…。」

「外国人か?ふむぅ。とりあえず、ローラー作戦ですか、清野課長。」

「総動員であたらせてる。国外逃亡でもしていなければ、割り出せるかもしれん。」

達之はしばらく黙り込み、腕組みをして何かを考えているようでしたが、腕時計で時間を確認すると、口を開きました。

「今、午後1時。記者発表まで7時間か…。清野課長、とにかく発表の内容でも検討しましょう。」

達之は他に思うところがあったようですが、あえて口にはしませんでした。

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夏の太陽は中天から少し傾いていましたが、日差しはますます強く、溶け出しそうな暑さです。病院の前庭の噴水は、節水のためかすっかり干上がっていて、余計、暑さを感じさせます。病院から相棒の星野スミレが出てくると、凶嫁舞信玄は、煙草をもみ消し、話しかけました。

「どうだった。やっこさん、何か喋ったか?」

「全然、だめね。貝のように押し黙っちゃってる。でも、持ち物の中から、おもしろいもの見つけたわ。」

スミレはポケットから四角い板状のものを出しました。フロッピーディスクです。信玄は背負っていたデイパックからパワーブック2400を取り出すと、フロッピーを挿入してみました。フロッピーには、いくつか画像ファイルが入っていました。開いてみると、裸の女性のイラストでした。

「ほっほう。アニメかぁ。オリジナルみたいだな。やっこさんが書いたのか。」

「さあ、それはどうかしらね。でも手がかりにはなりそうじゃない?」

二人はヘルメットを被りサングラスをかけ、バイクに乗ると、勢い良く飛び出していきました。

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二人の乗ったバイクが、たどりついたのは吉祥寺の汚いアパートの前でした。

「だいぶ、くたびれたアパートね。」

「あやしい情報ってのは、こんなところにあるものさ。」

表の階段を上がり、表札を確認しながら歩いていた、信玄は一番奥の部屋の前で止まりました。ありみかさとみ。表札にはそう書いてあります。

「おうい、入るぞぉ。」

信玄はノックもせずに乱暴に扉を開けました。スミレはちょっと驚きましたが、カギもかけないで不用心ね、と思いながら信玄につづいて部屋に入りました。

部屋の中は真っ暗で、しかも夏の午後とは思えないほど、冷えきっていました。部屋の奥がぼんやり明るくなっていて、そこにはモニターが5台ほど積み上げてあって、何やら複雑なワイヤーモデルやら、幼い女の子の写真やらが映し出されていました。

「おう、なんか用かい。」

不意に暗がりから声がしたもので、スミレはちょっと後ずさりしてしまいましたが、信玄は気にせず、ずかずかと部屋の中央に進んでいきました。

「さとみちん、また、なんかクロックアップでもしてんのか?」

「おうよ、こないだのオフ会でゴッサマーのロジックが手に入ったもんでな、カラクラに分割してつっこんでるところだ。」

さとみちんと呼ばれた男と信玄、二人の会話はスミレにはちんぷんかんぷんでしたが、どうも二人の間では通じているようです。

「今日は、ちと仕事で来たんだけどな。」

信玄が切り出しました。デイパックから、フロッピーを取り出すと、天井まで届くラックに組まれたコンピュータのドライブに差し込み、マウスを操作して画面に画像を映し出しました。

「このイラストなんだけどな、見たことないかな?」

暗やみから、のそのそと髪の長い男が現われ、モニターの前に立ちました。冷えきった部屋だというのに、男は素裸でした。思わずスミレは「きゃっ」と悲鳴をあげてしまいました。頭をかきながら、男は振り向き、

「なんだ信玄、お客さんがいるなら、いるって言ってくれよ。」

と悪びれた様子もなく、ゆっくりパンツをはき、

「お嬢さん、勘違いしないでくれよ、こういう精密電子機器は静電気に弱いんだ。作業するときは、裸が一番なのさ。」

そう言いながら、モニターを覗き込みました。

「…ああ、この絵は見たことないけど、こういうタッチの絵を描く奴いたな。」

信玄は写真を見せ、知っているかと尋ねます。男は写真をしばらく眺めていましたが、信玄に返すと、ペットボトルからミネラルウォーターをぐびりと飲んで言いました。

「んー、たしか西銀河クラブの奴だ。コミケで見かけたことがあるな。」

「にしぎんがクラブぅ? どのへんに行けば会える?」

「ああ、奴等たいがい小岩のトモズトモって店にたむろしてるぜ。」

信玄は礼を言うと、昼間っからとんでもないものを見て、固まっているスミレの襟首を掴み、ひきずりながらアパートを後にしました。

陽はすっかり傾き、そろそろ涼しい風が吹いてきそうな気配がしました。

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何時頃なんだろう。やたら明るい室内を見回しましたが、時計は見えませんでした。腕や胸や鼻の穴にまで、いろんなチューブがくっついていて、しかも体は重く感じられ、身動きができません。MBXは、深いため息をつきました。

はあー、まずいなあ。なんで、こんなことになっちゃったんだろ。俺はてっきり死んだかと思ったんだけどなあ。まあ、生きててよかった気もするけど…。さっき来た刑事のおねぇちゃん、かわいかったなあ。色々聞かれたけど、答えるわけにもいかないしなあ。会社の規則だもん。警察には弁護士を通せって言われてるし。何か目撃しましたかって、聞かれてもなあ。イオットさんが、裸で自転車に乗ってて、後ろからICPOとかのヒトに撃たれました、なんてなあ。なんか言っちゃまずそうだもんな。きっと、なんかあったんだな。イオットさんが持ってた紙袋、あれ中身は拳銃だ。ちらっと袋の口から見えたもの。なんだか心配で、出張で本社にいた戦闘員Aにクルマ取りにきてもらって…あ、あいつちゃんとクルマ乗って帰ったんだろうなあ…あの公園に戻ろうとしたら、ぱんぱんぱんって、あれ銃声ってやつだよな…。そしたら、イオットさん、裸で自転車漕いでるし…。思わず飛び出しちゃったけど、銃で撃たれるのって痛いんだな。ぜったい死んだと思ったね。死ぬ前に、見ておかなきゃって、夢中で目を開いたんだもんね。…いい肢体してたな…。お腹の傷がちょっと減点だけど。ああ、いててて。っていうより少し苦しいな…。生きてる証拠か。

MBXは少し体を動かしました。が、思ったほどは動きませんでした。

はああ。まいったね。からだ動かないよ。どうしよう。帰らないと、地獄大使怒ってんだろな。イオットさん何をやったのかなあ。…あ、誰か来る…。

MBXは急いで眼をつぶり眠っているふりをしました。集中治療室に入ってきたのは、先刻の女刑事でした。MBXは片目を開けて様子を見ています。彼女は、すでに気づいていて、声をかけてきました。

「公安庁の星野スミレです。さっきはどうも。気分はどう? 寝たふりしないでね。」

彼女は黒く四角い鞄のようなものを持っていました。

「話したくなければ、話さなくてもいいのよ。ドクターはショックで話せない場合もあるって言ってたしね。」

そう言いながら、ベッドの脇の椅子に腰掛け、膝の上に黒い四角いものを載せました。そして、その四角いものの蓋を開けました。それは、パワーブック2400でした。MBXは興味津々で見ています。彼女はにこりと笑うと、ポケットからフロッピーを取り出しました。

「申し訳なかったんだけど、これ、あなたの持ち物から拝借したわよ。」

あ、あのフロッピーは…、ちょっとMBXは動揺しました。次回のコミケに出展する作品をまとめておいたもので、会社の資料や個人情報は入ってないはずでしたが、中身を若い女性に見られるのは少々恥ずかしいな、と思いました。

スミレはフロッピーをパワーブックの色んなところに押し当てています。どうやらドライブがどこにあるか分からないようです。

「…ん、もう。どうも、こういうのは嫌いだわ。同僚やそのお友達は大好きらしいんだけどね。」

そこで、彼女はMBXの方に顔を向けました。

「ね。あなた知ってる。クロッコダイルやら、ゴッドマーズのドッジボールとか?」

くろっこだいる? ごっどまーずのどっじぼーるぅ?

「…そ、それは、クロックアップと、ゴッサマーのロジックボードだろ…。」

思わず、MBXは口を開いてしまいました。

「はは、あなた喋れるんじゃない。そうそう、ドナサマーのゴシックボールドよね。…で、これどこに入れるか知らない?」

しまったあっ。話しちゃった。喋れないふりしてようと思ったのにい…。

「…その、右側の、そう、そこ、そこに入れるんだ…、あ、上下が逆さま。…うん、それでいい…。」

うわあ、どうしよう。収集がつかないよお。あ、急に気を失ったふりしよ。

パニックになっているMBXのことは気にも留めず、スミレはトラックパッドを操作して、ブラウザを立ち上げていました。パワーブックの画面に1枚の絵が映りました。

「これ、あなたが描いたの?」

MBXは悶絶したふりをしていたのですが、薄目を開けて画面を見ました。

「…そう。」

それは、イオットの裸を想像して描いたイラストでした。

「ふーん、なかなか上手いじゃない。一介の会社員なのが惜しいくらいね。」

「え?会社員て…俺、まだ何にも話してないのに…。」

「うふふ、公安を甘く見られちゃ困るなあ、MBXくん、本名、絵夢美詠楠さん。」

うっわあー、まずい、まずいっすよお、身元がばれてますよお。こ、こりゃ、突っ込まれたら、イオットさんのこと喋っちゃうかもー、ど、どーしよおぉぉ。…そ、そだ、息止めちゃえー…。

「…あら? MBXくん、ちょっと、どうしたの?ね、ちょっと…あら、やだ…死んじゃったの?ねえってば…。」

「…た、た、大変だあ、先生、せんせぇぇっ、このヒト息してませーんっ、ちょーっと看護婦さーんっ…。」

MBXが必死の抵抗を試みていたころ、時計の針は午後8時になろうとしていました。MBXの病室からは見えませんでしたが、もうすっかり表は暗くなり、日中の暑さが嘘のように涼しい風が吹き始めていました。


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