ショッカーの午後

外伝 凶嫁舞信玄その2

「やっぱりこんな田舎じゃ、仕事も少ないし。」

辰五八六は白衣をはおると看護婦にそう言いました。

「辰先生、東京へ行かれるんですか?」

「う〜ん、条件は今より悪いんだけど、救急医療の現場で働くのは夢だったからね。」

看護婦はちょっとだけ残念そうな顔つきをしました。辰五八六は何か言いかけましたが、彼を呼ぶ声がして、そこで途切れたまま治療室へ急ぎました。

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「患者は18歳、男性、交通事故です。呼吸、血圧正常、意識ははっきりしてます。バイタルは安定。」

婦長がてきぱきと報告しました。辰五八六は手術台に横たわる青年を見ました。すでに衣服を脱がされ、念のため酸素吸入をつけられた男は計るような眼で辰五八六を睨みました。

「キミ、名前は。」

「…凶嫁舞信玄…。」

「きょうかまいしんげん…強化米信玄?5キロ詰めか、10キロ詰めかい?」

「…先生、そいつは聞き飽きてる…。」

凶嫁舞はうんざりした表情で言いました。

「ああ、スマン、スマン。判断力も正常…と。何処か痛いトコロはあるかい?」

「息をすると、このへんが…。」

凶嫁舞は胸の辺りを指さしました。

「このへんか?」

辰五八六は、胸を触診しました。あばらの何本目かを触れると、凶嫁舞は、「うっ」と声を漏らしました。

「ふん、あばらが折れてるようだな。ひじと膝に擦過傷…と。バイクか。」

「だったらなんだってんだよ。」

凶嫁舞は、見下したように話す辰五八六にいらつき、くってかかりそうでした。辰五八六は腕組みをし、凶嫁舞を眺めていましたが、やおらストラップを看護婦たちに命じました。凶嫁舞が反抗する間もなく、看護婦たちはあっという間に両手両足を固定してしまいます。

「何しやがるっ。」

「ふむ、ちょい反抗的なんでね。おしおきだ。」

辰五八六はそういうと、凶嫁舞の股間を覆っていた白い布を取り去りました。立派というには少々おこがましいような、彼の性器が露になりました。看護婦たちは覗き込むようにしながら、くすくす笑っています。

「てめ、この…。」

凶嫁舞は恥ずかしさと怒りで声になりません。顔を真っ赤にしている凶嫁舞に辰五八六は言いました。

「いいか、少年、今回は飛び出してきたのが、クルマだったから、おめぇが被害者みてぇなもんだったが、飛び出したのが歩行者だったらどうする。一生後遺症が残るようなことにしちまったら、どうする。ましてや、死んじまったら、おめぇ、責任とれるのかっ。飛ばすなとは言わねえ、バイク乗りなら、そのへんのとこ考えて走るんだなっ。」

凶嫁舞は何か言い返したそうでしたが、うまいセリフが思いつかず、とりあえずおとなしくすることにしました。

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結局、あばら4本ににヒビが入っただけで、他に異常はなく、安静にしてることを条件に家へ帰ってもよいことになりました。まだくすくす笑っている看護婦に痛み止めと湿布を渡され、待合室へ行くと、身なりのよい男性とOL風の女性、それに兄謙信が座っていました。

ち、兄貴来てやがったのか…。

「たいしたことなくて、よかったな。」

謙信が凶嫁舞に声をかけました。病院につくまで興奮してて、よくわからなかったのですが、身なりのよい男性はクルマのドライバーでした。男性は深々と頭を下げ、このたびは、とか、無事でなにより、とか繰り返していましたが、凶嫁舞はそれよりも、隣で迷惑そうな顔をしている女性に気を取られていました。長いストレートヘアはやや栗色を帯び、はっきりとした端正な顔立ち、身体にまとわりつくような黒のワンピース、大きく開いた襟元は形のよい乳房が顔をのぞかせています。彼女は凶嫁舞が見つめていることに気づいたのか、口元に笑みを浮かべると、長い脚を大きく持ち上げ組み直しました。脚が交差する瞬間、短いスカートの間から白い太股の奥の黒い繁みが見えた気がしました。いきなり謙信に肩をつかまれ、凶嫁舞は慌てました。

「さ、帰るぞ。」

「え、でも…。」

「ああ、話はもうついた。お前は何も心配することはない。さ、うちへ戻ろう。」

また、勝手に…。そう凶嫁舞は思いましたが、口には出さず、兄に連れられたまま病院を出ました。病院の自動扉が閉まるとき、男性が『マリバロン』と呼ぶ声を聞いた気がして、振り返ると、男性の肩越しに女性の顔が見え、彼女は男性に何か耳打ちしていましたが、凶嫁舞の視線に気づくと、小さく手を振ってよこしました。

温かい病院の中と違い、表はすっかり冷え込んでいて、手をジャンパーのポケットにつっこむと、何か固いものにふれました。取りだしてみると、名刺でした。凶嫁舞はよく覚えていませんでしたが、事故のあと、ドライバーに手渡されたようです。名刺には、アガリクス・ロゲイン輸入元、ブラジル商事、代表 半漁仁と書かれていました。

倉敷の家に戻る車中、兄謙信は彼の行為については何も語らず、事故処理の話だけをしました。相手の都合で、警察沙汰にはならないこと、おおかた不倫の最中だったじゃないかと謙信は思っていること、FZRは廃車同然だったこと、全額弁償してもらえることなどを一方的に話続け、凶嫁舞はぼんやり聞いていましたが、いつのまにか眠ってしまったようでした。

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翌週、凶嫁舞が学校に出てきたのは、土曜日のことでした。まだ胸が時々疼きましたが、家でぼうっとしていても退屈なだけでしたし、兄謙信と顔を合わせないですむよう、学校に出てきたのです。

「きょうかまいぃ、だいじょぶなの?」

椅子に腰かけると、桜子がちかづいてきました。

「な〜んか、派手な『ばとる』したってぇ、ホント?」

秘密にしてたつもりなのに、桜子が知っているようでは、学校中に知れ渡っているのでしょう。まあ、バイク屋に廃車同然のFZRが置いてあれば、1週間も経っていることもあるし、噂は駆け巡っているだろうなとは、薄々思っていたのですが。ただ、どんな噂なのか知りたい気もしました。

「そんなんじゃねぇよ。」

「だってぇ、皆言ってるわよ。きょうかまいぃ、バイクで大事故やったから、退学だろって。っでも、すごいわよねぇ。『びーえむだぶりゅ』とかと競走したんでしょ。勝ったの?」

「…あ、いや、負けだろうな、俺の…。」

「ふぅん、やっぱ『びーえむだぶりゅ』ったら高級外車だもんねえ、勝てるわけないよね。で、左ハンドルなの、やっぱり?」

桜子はBMWと聞いて、4輪だとばっかり思ってるようです。説明してやろうかと思いましたが、ニコニコしている彼女の笑顔を見ていたら、ちょっとドキドキして言葉につまってしまいました。

「きょうかまいぃ、たぶん、呼びだしがあるよ。さっきセンセたち会議してたもん。」

桜子の予想通り、押っ取り刀でやってきた担任は、凶嫁舞を見つけると、こっちへ来るように手招きしました。凶嫁舞はダルそうに立上がり、教室を出ようとすると、誰かの視線を感じました。京谷太郎です。狂った獣のような憎悪の眼です。一瞬、凶嫁舞と視線が交差しました。が、京谷は、さも興味なんかねぇよと言いたげに、視線を戻し、それきり凶嫁舞の方は見向きもしませんでした。

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凶嫁舞が連れていかれたのは、生活指導室でした。担任の金八先生は、一部には熱狂的なファンがいるほど、熱血漢で、面倒見のいいという評判でしたが、凶嫁舞はあまり好いてはいませんでした。

「なあ、凶嫁舞、なんで呼ばれたかは知ってるだろう。結論から言うぞ。今回のお前の事故な…。」

凶嫁舞は判決を待つ被告人のような気がしました。

「…これは不問になった。」

凶嫁舞はちょっと意外でした。警察沙汰にならなかったとはいえ、事故は事故ですから、停学くらいは覚悟していたのです。

「バイクは乗らない、乗せない、買わないの三ナイ運動は知ってるよな。うちの学校もそうだ。まあ、これが正しいやり方かどうかは別の問題だが、お前は、そのバイクで事故をおこしたんだ。本来なら、退学もやむなしってところなんだが…。」

金八先生はそこで、言葉を切り、凶嫁舞の顔をのぞきこみました。

「事故の相手方が学校に来てな、お前を絶対に退学などにしないでくれ、と頼まれてな、あまりにしつこく頼むので、学長も折れたってわけよ。まあ警察沙汰にもならなかったし、厳重注意ってことだ。」

事故の相手方、あの半漁仁って男です。なぜ、そこまでするのか、どうして学長が折れたのか、凶嫁舞は不思議に思いましたが、自分の身の上に心配がなくなったことの方が、今はうれしいのは事実でした。その後、金八先生は人生について、腐ったミカンについて、熱い説教を延々垂れましたが、凶嫁舞は上の空で、半漁仁といっしょにいた女性のことを思い出していました。白い太股が脳裏をかすめ、また会えるかどうか、そのことばっかり考えていました。

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凶嫁舞本人からも、教師からも何の説明もなかったので、クラスメートたちは不審に思い、授業中もちらちらと凶嫁舞に視線が集中していましたが、それでも4時限目が終わるころになると、どこから仕入れてきたのか、凶嫁舞に処罰がなかったことを級友たちも知り、半分は興味を失い、残り半分はなぜ処罰がなかったかで盛り上がっているようでした。

「きょうかまいぃ、待ってよ。」

授業が終わり、ざわつく教室を出ていこうとする彼に、桜子が声をかけました。

「今日はバイクじゃないぞ。」

凶嫁舞がそう言うと、

「あ、そうなの。でも、いいわ。いっしょに帰りましょ。」

と、腕をからませてきます。ひじが桜子の胸に触れ、その弾力のある胸の感触に、凶嫁舞はちょっと顔が熱くなりました。

「や、やめろよ。」

腕をほどこうともがいていると、誰かに肩をつかまれました。のけぞりながら振り返ると、襟が高く、みょうに裾が長い学生服を着た男が立っています。

「凶嫁舞、京谷さんがお呼びだ。ちょっとつきあってもらうぜ。」

男は肩をいからせすごみました。京谷太郎のとりまきの一人です。

「いやだね。俺は、男とつきあう趣味はない。」

男の手を振り払うと、どさくさに紛れて桜子の肩を抱き、さっさと廊下を歩いていく凶嫁舞に、なおも男はくいさがりました。

「屋上で京谷さんが待ってるんだ。来いったら来いっ。」

「用があるなら、そっちから来たらどうだ、そう伝えろよ。」

「なにをっ。」

男は凶嫁舞の背後から殴りつけようと飛びかかりました。が、凶嫁舞がするりと身体をかわしたので、男は目標を失いよろけ、その背中を凶嫁舞にポンと押されて、男はそのまま廊下につっぷしてしまいました。

「おいおい、こんなところで寝てると、風邪ひくぞ。」

凶嫁舞は男の襟首を捕まえ、上半身を引き起こすと、耳元に小声で言いました。

「一生ベッドで過ごしたいなら、そうしてやってもいいけどな。」

そして、男の頭をイヤというほど廊下に叩きつけました。ぴくりとも動かなくなった男をそのままに、凶嫁舞はすたすたと階段へ向かっていきます。桜子はちょっと驚きましたが、あわてて彼を追いかけました。

電車に乗るまで、二人とも無言のままでしたが、座席に座ると、桜子はほおっとため息をつき、凶嫁舞に話しかけました。

「きょうかまいぃ、あんた強いんだね。」

「…強かぁないさ。昔見た映画の真似しただけだ。」

「ふぅん、映画かぁ、そだ、今度映画見に行こうよ。ね。」

「…え、ああ、うん、いいよ…。」

「ね、なんで今日はバイクじゃないの。学校がヤバそうだったから?」

「それもあるけど、今日は新しいバイクの納車なんだ。」

「え、新しいバイク。うわあ、見たいなあ。ついてっても、いい?」

女の子を連れてったりしたら、バカにされそうな気はしましたが、それでもなんとなく一緒にいたかったので、凶嫁舞は小さく頷きました。

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案の定バイク屋のオヤジには、彼女かと問われ、そんなんじゃねぇよ、と否定するやり取りが数回ありました。

書類にサインすると、バイク屋のオヤジはガレージから、凶嫁舞の新しいマシンを出してきました。

DUCATI 750 F1、モンジューイという愛称がついています。DUCATIが長年の沈黙を破り、スーパーバイク選手権に復帰するために作られたホモロゲーションマシン。それまでの900SSをベースに排気量を748ccとし、デロルトの41Φ強制開閉キャブレターを装着したため、前後シリンダーが逆向きではなく、同じ向きに並べられ、ほぼ直管のようなエキゾーストは左側に集合。極端にスリムに絞られたアルミ製燃料タンクとフレーム、大きめのシングルシートが特徴的です。前後16インチのホイールには極太のタイヤが装着され、低く構えたライディングポジションはレーサーそのものといった感じです。

「いちおう、エンジンは一旦バラして、再組立てしといたぞ。バルブの擦りあわせとバルブシートは交換ずみだ。こいつは走るぞ。…しかし、ラッキーだったよなあ、凶嫁舞。」

たしかにラッキーでした。クルマの方が横から飛びだしてきたとは言っても、凶嫁舞が速度超過ですっとんでいたのは事実だし、本来なら、9:1くらいで凶嫁舞に責任がありそうなところだったのですが、相手方(例の半漁仁だ)は、全額弁償すると言ったのですから。それでも最初は申し訳ないから、事故車と同じFZRにしようかと思ったのですが、バイク屋のオヤジに、構うことはねぇから、最高のモンにしちまえ、とそそのかされ、結局DUCATIを手にすることになったのでした。もう一度、あのBMWと勝負するにしても、同じ2気筒で走ってみたかったというのもありましたし。

ぼうっと考えごとをしていると、オヤジはDUCATIのシートになにやらくくりつけています。よく見ると、シートカウルに座布団を針金で結わえ付けているようです。

「わわわ、オヤジ、何するんだよう。」

あわてて止めようとする凶嫁舞を制しながら、店の中で奥さんとお茶を飲んでいる桜子を指さし、言いました。

「こうしなきゃ、彼女が乗れね〜じゃねぇか、な。」

DUCATI最速のマシンに、いきなり座布団で二人乗りかよ、凶嫁舞は肩をすくめ、大きくため息をつきました。


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