Macintosh研究室


1998/12/31 いったいどんなPCを使ってきたのか

で、なんだか大晦日です。今年は、iMacの年でした。年末にかけて、一般的にもかなり浸透したようで、Winなオジサンの間でもiMacってなセリフが出るようになりましたねぇ。

ところで私、もともとMac Userだったのかというと、違うのであります。そもそも、某重電機器メーカ関係の商社に勤務していまして、そこでコンピュータなるものに出会いました。当時は、まだパソコンは一般的ではなく、社会にワープロが浸透しそうかな?っていう時代でした。しかし、ワープロといえど1台数百万円で、しかも高価なのに漢字変換は相当マヌケで、絶対手書きの方が早いだろってな感じでした。その後ワープロは急速に低価格化し、パーソナルユーザー向けというものが出現し、私もとりあえず1台買ってみました。プリンタ1体形で、10数万だったと思います。ディスプレイはモノクロブラウン管で、まだ液晶なるものはありませんでした。たいして使いもしなかったのですが、キーボードに慣れるという意味では役に立ちました。

一方コンピュータはBasic Master(だっけかな?)というものを売ってまして、8ビットのしょもないパソコンでした。用途不明だし、Basic言語なんて覚える気もなかったのでナゾの商品として、私はとらえていました。8ビットから16ビットになり、B-16なるものが登場しました。5インチのFDDを1つか2つ装備しており、OSはMS-DOS(バージョンは知りませんっ)で、グリーンのディスプレイをチカチカさせてました。NECがPC9800なるものを大々的に売っていたころです。会社に対する忠誠心か、NECを買おうとは思いませんでしたが。商品はB-16からB-16EXなるものに変わり、HDDがついて、作表ソフトのLotus1-2-3と合わせ、売り込むようになったころ、中古で安かったSHARPのX-1を買いました。ビデオの編集に使いましたが、自分の希望通りには動かなかったので、すぐ飽きてしまいました。そして、世の中は16ビットから32ビットとなり、商品もB-32が登場しました。そのころ某重電機器メーカはパソコン拡販対策として、小冊子を発行していたのですが、それの懸賞にみごと当たっちまいまして、B-16LXというラップトップパソコンを手に入れたのです。これは、プラズマディスプレイ(オレンジ色のきれいなやつ)というモノクロの画面を持ち、FDD1基搭載でOSはMS-DOS3.0(?)でした。ま、当たったから仕方ないので、DOSを勉強してBATファイルやら書いて遊んだり、パソコン通信などやってみたりもしましたが、まだ遊び道具としてはいまいちでございました。その後、某重電機器メーカはFLORAシリーズを発売し、以前のシリーズとの互換を絶ち、すっかりパソコンなんて忘れた生活をしていたのですが、某重電機器メーカが通販部門を立ち上げたおり、在庫処分で1体形パソコンを格安提供したので、つきあいで購入しました。これは、IBMのPS/V visionのOEMで小さいディスプレイと1FDD、HDD、CD-ROMドライブがついてました。OSはWindows3.1。

いや〜、びっくりしました。コマンド入力する味気ない画面ではなくて、きれいな絵模様が並び、マウスで操作できるっていうのが、正直オドロキでした。こりゃいいっ。Windows最高だあっ、て思ったものです。そんな私にとってMacというものは、B-16EXのころから単なるライバルでした。設計部門や技術屋さんは、ど〜ゆ〜わけかMacにご執心で、私は「あんな日本語もろくに扱えない外国製なんて……」という認識しかありませんでした。1度晴海で見たことはあるのですが、触ったこともないクソミソのアンチMacだったのです。そういう風ですからWin3.1を見てますますMicroSoftって最高じゃんって思ったものです。当然95年にはWin95を購入。新しいDOS/V機を仕入れてインターネットにも接続、バリバリのWin Userになりました。DTPだって、これからはWindowsだ〜っ。……と、勢いはすごかったのですが、Win環境のDTPというのはしかし未整備だったのです。まあ、他のOSも見てみたいし、しょうがね〜なMacでも買うかぁ……。そして、Power Macがやってきました。え〜とスイッチは……、あ、これかあ、キーボードについてるのね……おしゃれ〜、プチ、………じょあぁぁ〜ん♪………そして、その瞬間、私はオドロキの頂点に達しました。か・かっこい〜。わかりやすい〜。あのケバケバしいWindowsって、サイテ〜っ。

以来、私はMac Userなのです。


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