ショッカーの午後

ショッカーの憂鬱 その11 カメラマン

「患者は年齢不明の男性。胸部銃創。弾丸は背中から肺を貫通、血圧100の80、呼吸は浅く緩慢、バイタルは不安定。現場で意識喪失。クロスマッチ4単位を投与しました。」

救急車から担架に載せられた男が降ろされ、救急治療室へ運ばれてきました。

「患者の身元は?不明?…そうか、とにかく持ち物から身元を当たってくれ。よし、挿管するぞ。それから、ポータブルで胸部エックス線写真。クロスマッチオーマイナスを8単位追加、外科部長に連絡、それと外科3号手術室を確保しといてくれっ。」

「くそ。これで3人目だ。いったい何人撃たれたんだ。」

「全部で7人。うちへ回されたのは今ので最後よ。」

医者や看護婦が、あわただしく動き出しました。午前6時30分、当直の医師が交代する直前のできごとでした。

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早朝だというのに、病院の待合室はなぜかごった返していました。

「今日だけ、こんな混んでいるなりか?」

イェロツォンの問い掛けに

「いいえ、いつものことですよ。」

とケイエム刑事が答えました。ケイエム刑事はICPOアジアの日本担当捜査官で、もう東京に赴任して3年経っていました。

「日本じゃ、どういうわけか、病院、特に総合病院は、朝からお客さんでいっぱいなんですよ。」

ケイエム刑事はどこで仕入れてきたのか、コーヒーを1つイェロツォンに手渡すと、空いてるソファーを捜しだし、座るよううながしました。

「…驚きましたよ。突然香港から連絡が入ったときには。」

「すまないなり。今回の件は、ちょっと先行しすぎたなり〜ん…。」

「イェロツォン刑事、だいたいあなたは本来北鮮担当だったはずだし。」

「…武器密輸ルートを追っかけてたら、上海経由でここまで来たなりよ。」

「一応、今回の件は支局長経由で日本の警察庁と公安庁へ連絡を入れましたけど、わたしはあなたを見張ってろとの命令受けてます。うろうろせんでくださいよ。」

イェロツォンは申し訳なさそうに頭を下げると、コーヒーを飲みました。

ほどなく緑色の手術着をつけた医師が、2人の元へやってきました。

「え〜と、あなたが民間人の負傷者を連れてきてくださった方ですか?」

「そうなり。」

「とりあえず症状が安定したので、今外科手術に入っています。弾丸が貫通しましたが、心臓は外れていたのが幸いといえば幸いですが、予断はゆるさない状況ですね。え〜と、それで、患者の身元は何かわかったんでしょうか?」

「それが、近所の住人ではないらしくて、身分証明書も持ってなかったなりよ。今、警察で調べているなりね。」

「…そうですか、それと気になることがもう一つ。他の2人の患者の救急処置も担当しましたが、銃創の形状が異なるんですよ。…いえ、つまり、その、前の2人とは明らかに口径の違う銃で撃たれたようでして…。」

「…それはぁ…。」

答えようとするイェロツォンを手で制すると、ケイエム刑事は医者の肩を抱き、顔を寄せて言いました。

「先生、本件は、非常に複雑な背景がありましてね、ちょっと外交問題になるおそれもあるんです。いえいえ、先生の身に何か及ぶことはありませんよ。ですが、万が一ってこともあります。今の件については口外なさらぬよう、お願いしますよ。いいですね。」

医者は腑に落ちない顔つきをしていましたが、まあそういうことならと病室の方へ戻っていきました。

「どういうことなりか、ケイエム刑事。」

医者が行ってしまうと、イェロツォンが聞いてきました。

「言いにくいことだが、今回の君の誤射はなかったことになる。それが支局長と本部長の意向だ。」

「それは日本の警察も承知したことなりか。」

「警視庁長官を通じ、法務省まで連絡は行っている。銃撃犯が民間人も撃った。そういうことだ。」

「それは、しかし…。」

「いいか、イェロツォン刑事、君は捜査権もない日本で、無許可の銃をぶっ放した。それも2発。そして、1発は民間人に怪我を負わせた。こんなことはICPO憲章のどこをどう見たって、正当化することはできない。君のためを思って、かばってるわけじゃないんだ。問題が表面化して、ICPOアジアの立場が危うくなるのを防ぎたいだけなんだ。」

ケイエム刑事が詰め寄りました。イェロツォンが口を開きかけたとき、カメラのシャッターの音とストロボが閃きました。2人は眩しさと習慣で光の方に手をかざしました。遅ればせながら、報道陣が病院にやってきて、とりあえずの写真を撮り始めたところでした。

「はい、どいた、どいたあ、報道カメラマン坂兄ィのお通りだあい。」

口ひげを生やしたすらっとした痩せ形の男が、ニコンを手に2人の前を駆け抜けて行きました。一瞬、男は2人に一瞥をくれ動きが止まりかけましたが、他社のカメラマンに追い越されそうになったので、両手を広げ他のカメラマンの動きを制しながら、再び走り去って行きました。

「ああいう手合に嗅ぎつかれてみろ、ただじゃ済まされんぞ。」

去っていく報道陣を見ながら、ケイエム刑事が言いました。

「…なり〜ん…。」

小さい弱々しい声でイェロツォンがつぶやきました。

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「…わかりましたぁ。今夜の8時からですね。ええ、僕と兄ィで詰めます。」

携帯電話をしまうと、小笊丸夫通称マロは、となりでニコンをケースにしまっている坂に、買ってきた缶コーヒーを渡しました。

「で、デスクはなんだって?」

缶コーヒーのプルタブに難儀しながら、坂が聞きました。

「今のところ、発表は今朝の公式通達だけだそうです。で、警察庁で今夜8時に公式発表があるらしいっす。デスクは俺と坂兄ィに詰めてろって。」

手をびしょびしょに濡らしながら、ようやく缶コーヒーの蓋を開けた坂は、一気に飲み干しました。

「ぷはー。どうも缶は嫌いだぜぇ。それにしてもよ、マロ。7人もの人間が撃たれてんだぜ。しかも警察関係者だ。もうちっとマシな情報を発表してくれたって、よさそうなもんだがなぁ。」

「もう10時を回るってのに、いったい何人死んでるのか、生きてるのかさっぱりってのも変ですよねぇ。」

二人は浅草公園前まで来てはみたものの、今朝と同じで、現場はおろか、マンションの見える場所までさえも近づけず、駅前で、小休止としていたところでした。

「それにしても、この浅草で銃乱射で死傷者7人なんて事件起こるんっすねぇ。」

巨体をイスズ・ビッグホーン・イルムシャーの運転席にたくみに滑り込ませ、マロはクルマを発進させながら言いました。坂は何か考え込んでいるようでしたが、ひとつひとつ思い出すように、ゆっくり口を開きました。

「…浅草で銃撃戦ってのは、10年くらい前にもあったんだ。俺は現場写真を撮りに行った記憶があるよ。ひでえもんだったぜ。母娘3人が巻き添えくってな…。」

「へえ、そんな事件があったんすか。」

「たしか、ナントか解放戦線っていう狂信的武装グループが人質ろう城事件を起こしてな。犯人全員と母親と娘1人が死亡。すげえ事件だったぜ。」

そこで、何かを思い出したのか、坂は言葉を止め、手帳を取り出すと何か書き留めました。

「なんです?兄ィ。」

マロは坂の行動に気がつきたずねました。

「いや、ちょっと古いことを思い出してな。…それで、その銃撃戦には後日談があるんだ。たったひとり生き残った娘がな、病院から消えちまった。当時は、なんか裏があるんじゃねぇかと、各社ともしきりに憶測記事書いたもんだったが、それもうやむやになっちまった。昭和も終わりのころの話さ。」

「…で、どうします。現場には近づけないし、8時までは間がありすぎますけど…?」

先輩の思い出話にはつきあえないのか、マロは現実的な予定を聞いてきました。

「そうだな、昔の記事でも漁ってみるか。社の資料室へ行くぞ。」

都心の混雑する道をたくみにイルムシャーを操り、マロは東都日報本社へとクルマを向けました。

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午前11時。パワーブックデュオのキーボードを叩いていた、公安庁強行2課課長 広末達之のもとへ電話が入りました。警視庁捜査1課からでした。短く返事すると、達之は電話を切りました。強行2課は主に企業犯罪を取り扱う部署でしたが、国家転覆を企むような企業もなく、もっぱら独自捜査中心で動いています。

「おいでなすったぞ。」

達之は部下の凶嫁舞信玄と星野スミレをひきつれると、警視庁へ向かいました。

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東京丸の内、ショッカー本社ビル。銀色に輝く外壁が、真夏の太陽を反射しその内情とは裏腹に、モダンな外観を呈していました。

「いったいぜんたい、どうなっているんだ。」

地獄大使は大声を出しました。居並ぶ部下達は叱責をおそれて、小さくなっています。

「カメレオンナから連絡はっ。」

「…ありません。」

「MBXから連絡はっ。」

「…ありません。」

禅問答のような会話がつづき、地獄大使はデスクを叩きつけました。テレビでは臨時ニュースで報道特番を延々流していましたが、未だ死傷者7人と繰り返すばかりで、作戦が成功したのか、失敗だったのか、地獄大使にはさっぱり分かりませんでした。

「くそ、もうよいわっ。お前達は下がれっ。」

部下を下げさせると、いらいらしながらオフィスを歩き回りました。すると突然デスクの電話が鳴りました。

「…ああ、私だ。…ドッグファザーか。…なに? 黒豹男が?…ふぅむ、そうか、でかしたぞ。そのまま待機させろ。」

電話を切ると、地獄大使は神経質そうに、テレビのチャンネルを何度も変えましたが、新たな情報は何もありませんでした。

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「ビンゴ。」

社の資料室でコンピュータ端末を操っていた、坂が素っ頓狂な声を上げました。退屈してインターネットでチャットをしていたマロが画面を覗き込みました。

「なんです?」

「マロ、今朝行った病院な、あそこにウィンドブレーカを着て短パンの体格のいい男と、黒いスーツを着た小太りの男がいたの覚えてるか?」

「…ああ、待合室にいた2人ですね。」

「そうだ、その黒いスーツの方なんだが、俺はどうも見たことがある気がしてたんだ。見ろよ、こいつだ。」

坂が指差した画面には、たしかに今朝の男の顔写真が載っていました。

「慶元柄無造。10年前、浅草署の刑事だった。さっき話した解放戦線の事件の時、取材した覚えがあるんだ。」

画面には経歴が出ていました。

「…ふむ、なになに。…音楽隊でトランペット…自転車で通勤中交通事故、ちがうな、…と、浅草署から警視庁へ…、むぅ?3年前にICPOアジアに出向になっているな…はて?」

「そういや、いっしょにいた体格のいいあんちゃん、頭、金髪で、アジア系の顔つきしてましたね。」

マロは、ハンバーガーを食べながら、何気なく話しました。坂は、にやりと笑うと、マロに言いました。

「マロ、こいつぁ、なんかあるぜ。病院に戻るぞ。」

言うが早いか、坂はもたもたしているマロをおいて、資料室を飛び出していきました。

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病院は、たいした情報も得られそうもないとあって、数人の張り番の報道陣を除いては、今朝の混乱がうそのように静まりかえっていました。

「坂兄ィ、医者は妙に口が固かったし、今朝以上のことは聞けそうにもないっすよ。」

「ばかやろう。医者だけが情報を握ってるわけじゃねぇんだ。…えーと、たしかここの外科病棟は…。」

坂はしり込みするマロを無理矢理ひきずって、2階のナースセンターへ入っていきます。向こう向きで薬剤の棚から薬を取り出している看護婦の尻を、坂は、ぺろっと撫でました。

「きゃっ。」

看護婦は、びっくりして振り向きましたが、坂の顔を見ると、

「なんだ、坂ちゃんじゃないの。びっくりさせないでよ。」

と笑いかけました。

「あのぉ、お知り合いなんすか?」

マロがこわごわたずねると、坂が言いました。

「報道の原点は、ナイスバディのギャルにあり、だ。覚えとけよ、マロ。」

看護婦は2人にお茶を出しながら、椅子をすすめました。

「それで、なんの用事?坂ちゃん。」

「いや、ほら、今朝運ばれてきた患者なんだけどさあ…。」

「だめだめだめ。その話はなしよ。口止めされてんだから。」

「…まあ、そう言わないでさあ。こないだのことは、必ず埋め合わせするから、ね、なんなら今、埋め合わせしてもいいんだぜえ。」

「ん、もう。坂ちゃんたら。それじゃ新宿の例の店で一番高いワインで手打ちするわ、約束よ。」

「おーけー、おーけー。まかせといてよ。」

忙しい報道の仕事をしていて、いったい、いつどこでどうやってるのか判りませんでしたが、この男、こと女の子の扱いにかけては天下一品だなあ、とマロは思いました。

「それでさ、運ばれてきた患者、身元は全員判明してるの?」

「残念でした。うちには、警察庁長官は運ばれてきてないわよ。うちに来たのは、警護のヒト2人と、民間人が1人だけよ。警護のヒトの名前は教えられないわ。民間人は、名無しの権兵衛のまんまよ。」

「ふうん、そうか。民間人ねえ…。なんか変わったことはなかったの?」

「う〜ん、教えちゃっていいんだかどうか…。」

「たのむよ、よし、スペシャルサービスもつけちゃうぜ。な、おねがい。」

「しかたないわね。これは、噂なんだけど、最後に運ばれてきた民間人の患者ね、前の2人とは違う銃で撃たれていたらしいのよ。前の2人は22口径だったんだけど、名無しの権兵衛ちゃんは45口径で、それも初速の速いやつだったみたいよ。」

「むぅ?犯人は2人いたってことかぁ?」

「さあ、それは判らないけど。」

「ふむ。ありがと、恩に着るよ。」

「坂ちゃん、ワインとスペシャルサービス、忘れないでよ。」

「ああ、電話くれぇ。」

呆気にとられているマロを従え、坂は病院を出ました。

「兄ィ、どういうことっすかね。」

「ふふふ、これからおもしろくなるってことだよ。もうすぐ6時か。とりあえず腹ごしらえして、警察庁へ乗りこむとするか。」

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突然の隣人の来訪で、ちょっとたじろいだけれども、なんとか玄関を閉めると、イオットは大きく息を吐き出しました。水道の蛇口から直接水を飲み、濡れた唇を手で拭いながら、ダンボール箱からラジオを取り出しました。

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「…今朝の長官襲撃事件の続報です。依然、警察庁及び警視庁からは新たな発表はありません。今夜8時に記者会見が予定されております。現場一帯は現在も緊急配備がしかれており、一切立入禁止となっています。繰り返しお伝えしています。今朝5時30ころ、警察庁長官が何者かに狙撃されました。この事件で、民間人1名を含む計7名の死傷者が出ています。詳しい、情報については、今のところ入っておりません。長官の安否などについても、まだ発表はありません。詳しい情報が入り次第…。」

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「民間人…?」

イオットは血を流して倒れていた戦闘員MBXのことを思い出しました。なぜ、坊やがあんなところにいたのかしら…。それに、イェロツォンと名乗った男。彼女はもう一度、今朝の状況を振り返りました。

あの男が撃ったとき、たしか右側から誰か出てきたわ。ああ、あれが坊やだったの。それであたしは倒れた…。あの男。射撃の腕は良さそうだったけど、どこまで追いかけてこられるかしら。とにかく、仕事は終えた。あとは、あたしの身の安全だけ。しばらく、隠れてるしかなさそうね…。

坊や。どうなったのかしら…。

開いた窓から見える景色は、そろそろ夕方のオレンジ色から、漆黒へと変貌しつつありました。

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索引


ショッカーの午後について