ショッカーの午後

ショッカーの憂鬱 その7 カニバブラー(中編)

成田空港西ウィング。その出口ゲートで、ひとりの男が、へたな字でフランス語の名前を大書したダンボール紙を掲げていました。男は戦闘員MBX。株式会社ショッカー取締役本部長地獄大使直属の部下です。

成田空港は、その建設上の経緯から、過激派のテロ活動に遭遇したこともあって、警備は厳重を極めます。送迎のための空港駐車場への入場でも、車内やトランクのチェックを受けます。MBXは、営業車では疑われるので、わざわざレンタカーを借りて、フランスから来る幹部社員を迎えに来たのでした。

エールフランス403便の乗客はあらかた出てきたのに、まだMBXはダンボール紙を掲げています。外人のフライトアテンダントが2人、出てきました。

「あのう、もうお客さんは残ってませんでしたか?」

MBXはフランス語でたずねてみました。

「あたしたちで、最後よ。」

フライトアテンダントは日本語で返事すると、MBXをいぶかしげに見ながら、去っていきました。乗り遅れたのかなあ。でも、パリのエージェントは403便に乗ったって言ってたしなあ。ぶつぶつ独り言をつぶやいてるMBXの耳に、

「待っててもしかたない。本社へ帰りなさい。」

と声が聞こえた気がしました。あたりを見回しましたが、誰も近くにはいません。不思議に思いましたが、確かに待っててもしかたなさそうなので、彼はレンタカーで本社へ帰ることにしました。今夜は小岩で戦闘員たちのコンパがあったので、早くきりあげたかったのも理由のひとつでしたが。

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地獄大使のオフィスで、MBXはひどく叱責を受けました。

「子供の使いじゃあるまいし、いませんでしたで通用するかっ、ばかものっ。」

地獄大使は烈火のごとく怒っています。あまり大きくはないMBXは、ますます小さくなりました。

「ええい、もうよいわっ。おまえは、あっち行ってマンガでも書いてろっ。」

ひどい言われようですが、恐縮してMBXは、アクセル全開のフェラーリのように地獄大使のオフィスを逃げ出しました。

まったく、どいつもこいつも……。地獄大使は憤懣やるかたない表情で、椅子に座ると、デスクのレポートに目を通しました。

「あんまり坊やを叱らないで。」

不意に、耳元で女の声がしたので、彼は椅子から飛び上がってしまいました。あわててオフィスの中を見回しましたが、彼の他には誰もいません。空耳か。取り乱して立ち上がったのを狼狽しながら、ふたたび椅子に腰を降ろそうとした時、地獄大使はぎくりとしました。部屋の中に自分以外の改造人間がいる、あの独特の気配を感じたのです。今度は落ち着いて目をこらしました。気配は扉のあたりから感じられますが、そこには誰もいません。

「坊やはちゃんと連れてきてくれましたわ。」

また声がします。

「……ふふふ。それが貴様の特殊能力か。しかし、何も見えないと話ずらいな。姿を見せてくれたまえっ。」

誰もいない空間に向かって地獄大使は話しかけました。

「うふふ、あたしの特殊能力はこれだけじゃなくてよ。」

扉の前に徐々に姿を現したのは、なんと、地獄大使そのものでした。まるで、鏡がそこにあるかのように、2人はうりふたつです。

「うむぅ。」

地獄大使はうなりました。すると扉の前のもうひとりの地獄大使は、にこりと笑うと、水面に波紋が広がるように、姿がゆらいで真の姿を現しました。全身を七色に輝く鱗が覆い、すらっとした体格の女性が立っていました。

「ようこそ、カメレオンナ。」

地獄大使は右手を差し出し握手を求めました。

「その呼び方はきらい。あたしは、イオット・コラション。イオットで結構よ。」

イオットは地獄大使の手を握り返しました。

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勝義は店長の半魚人少佐に、手招きで呼ばれました。

「あそこのテーブルにいる3人組な。東京もんらしいんだが、ちょっとあやしくないか?」

店長の指す方を見ると、中年の男が1人と若者が2人、テーブルについてメニューを眺めています。

「はあ……そうっすかぁ……?」

勝義には、ナンパに来た都会のお調子者にしか見えませんでした。

「あの若いほう2人はいいとして、あの親父だ。ありゃ、どうみても犯罪をおかすタイプだな。おおかた、このへんの女子高生をつかまえて、援助交際でもするつもりなんだろ。ここ大田和気海岸の三つ星レストランが、海の家『壮快屋』のモットーだ。面倒おこされて店の評判が下がりでもしたらかなわんから、よく見張ってろよ。」

そう言われてあらためて見ると、怪しい気もします。勝義は、注意深く観察することにしました。

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「ほれ、タケシ、この毛ガニうまいぞ。おまえも食ってみろ。」

親父は嬉しそうに毛ガニをほおばっています。

「いや、俺達は……。」

そう言って親父のすすめる毛ガニを断ると、若いほう2人は店内の様子をうかがっています。2人のあたりを見る目は、他の客と違って、とてもするどい目つきでした。ははあ、なるほど、店長のいう通りだな。あの若いほう2人が女の子を物色して、親父の餌食にするつもりなんだな。勝義はそう思いました。そのとき若いほうの1人が、店の女の子をつかまえて、何か小声で耳打ちしています。あ、さっそく来やがったか。勝義はちょっと色めきたち、腰が浮きかけましたが、もう少し様子を見ることにしました。女の子は笑いながら、若いほうの客に返事しています。戻ってきた女の子に、何を聞かれたのかたずねてみました。

「え、近くにビジネスホテルはないかって、なければアタシんちに泊めてくれないかって聞かれたんですよぉ、もぉ、やぁだぁ。」

おおお、あのやろお。勝義はこらしめてやろうと、3人に近づいていきました。近づいてみると、親父はともかく、若いほうの2人はやたら腕っぷしが強そうです。

「あ、あ、あのぉ……。」

緊張して、声がうわずってしまいました。3人は勝義を見上げます。

「……い、い、いかがでしたか?当店の料理は……?」

思わず勝義はそう言ってしまいました。

「ああ、旨かったとも、な、タケシ。」

親父のほうが返事しました。

「あ、あ、ありがとうございましたあっ。」

勝義は料金を受け取ると、おじぎまでしてしまいました。店を出ていく3人の後ろ姿を見ながら、勝義は大きくため息をつきました。

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あ〜、やだやだ。なんで、この俺があんなツタンカーメンもどきにヘコヘコしなきゃなんねぇんだ。だいたいあの編集が俺の原稿採用しねえからいけねんだよなあ。くぼてん先生も先生だよなあ。石森プロ紹介のアシスタントだってえから、来てみりゃただの雑用係じゃん。まったく、俺ぁ慶応仏文科卒だよ。こんなことなら、どっか外資系の会社にでも勤めりゃよかったかなあ……。ぼやきながら、廊下を歩いている戦闘員MBXを、背の高い金髪の女性が呼び止めました。からだに吸い付くようなぴったりしたスーツを身につけ、口元に人差し指を立てて、前かがみになってMBXをのぞきこみました。MBXの視線は自然と彼女の胸元に吸い寄せられ、ちょっとどぎまぎしました。

「坊や、時間ある?」

ますます、どぎまぎしました。

「浅草まで連れていってほしいんだけど。地獄大使があなたに頼めって。」

「は、は、はいっ。よろこんでっ。」

MBXは思い切りひっくり返った声で返事しました。

営業車を1台無理矢理手配すると、彼女を後席に乗せ、MBXは自らハンドルを握ります。

「あ、あの〜、カメレオンナさんですよね。」

MBXの問いに、彼女は下を向いて地図を見たまま、返事しました。

「その名前は嫌いなの。あたしはイオット・コラション。イオットって呼んで。」

「は、はい、イ、イオットさん。」

MBXは時々ルームミラーで、彼女をちらちらと盗み見ていましたが、彼女はそれきり声を出さず、顔も上げませんでした。浅草の駅に近づいた時、ようやく彼女は、顔を上げ道順を指示しました。浅草にしては閑静な場所の公園にクルマを停めると、彼女はクルマを降りました。ちょうど公園の斜め前に不似合いな豪華マンションが建っています。彼女がそのマンションのほうへ行こうとするので、慌ててMBXも彼女の後につづいて歩き出しました。途中、金髪の背の高い体格のよい青年が、2人をじいっと見ていましたが、ぷいとむこうを向くと、なり〜んと言いながら立ち去っていきました。イオットはそんな男に気づいてか、気づかずか、なにくわぬ顔で、マンションの玄関や植え込みを見て回っています。しばらくすると彼女は、植え込みのひとつに目をつけ、側でしゃがみこんだり、立ち上がって玄関のほうを向いたりしました。腕組みをして、しばし考え込むような表情を見せましたが、やがて頷くと、

「帰るわよ。」

とMBXに言いました。MBXは何がなんだか判りませんでしたが、よけいなことを言ってきらわれてもやだなあ、と思ったので、帰りの車中では黙って運転をつづけました。ただ、ルームミラーで後席のイオットの足元や胸元を、盗み見ることは忘れませんでした。

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四国、大田和気海岸。青い月明かりを受けて静かに波がよせては引き、昼間の喧燥が去ったいい雰囲気を醸し出していました。しばらく波の音だけでしたが、おや、岩陰でなにか音がしました。ごぼごぼという泡がはじけるような音がしています。すると突然、巨大なカニが現れました。カニは大きな網を抱えています。つづいて、周囲でもごぼごぼと、今度は何人もの人影が現れました。やはり皆、大きな網を担いでいます。カニが言いました。

「よろしい、今夜も大漁だった、ご苦労。カニカニ団、解散。」

そうすると、人影は海岸を離れ、人家のある方へ、夢遊病者のようにぺたぺたと歩いて行きました。残された大きな網を、巨大なカニがずるずると引き摺りながら去ってしまうと、海岸はなにごともなかったように、また青い月の光を照り返す静かな波の音だけになりました。


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