ショッカーの午後

ショッカーの憂鬱 その6 カニバブラー(前編)

フランス、ド・ゴール空港。エールフランス403便の出発を待っている人物がいます。搭乗券に記載された名前は、イオット・コラション。403便の行く先は日本・成田となっています。空港ロビーの窓から差し込んだ強い光を遮るように、イオット・コラションは手をかざし、フランスの空を見上げました。南仏の空は、シアン100%のような青さで、どこまでも高く、これから起こることを知っているかのようでした。

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「……次は、弁護士一家失踪事件の続報です。田園調布に住むS弁護士さん一家が失踪してから、すでに6ヶ月あまり経過しております、警察はなんらかのトラブルに巻き込まれている可能性もあるとして、捜査を続けていますが、現在までのところ有力な手がかりは見つかっておりません。この事態を受けて、警察庁長官は特別捜査本部を設置、全力をあげて一家の行方を追う方針を発表……」

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首領は、地獄大使の前に、黒光りするものを置きました。拳銃です。怪しげな雰囲気で、ずしりとした重みで、それがもたらす結果を暗示しているようでした。

「これは……?」

「例の事件で警察が、嗅ぎ回っている。我々の実力を思い知らせてやる必要があると、思わんかね。」

地獄大使は、驚いて首領の顔を見つめました。どうやら、本気のようです。

「人選は、お前にまかせる。」

そう言うと、首領は地獄大使に部屋を出ていくように、手で合図しました。

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当時、株式会社ショッカーの行動がなかなか公にならなかったのは、公安庁でもその存在を軽く見ていたためです。表向き、通常の法人として活動していましたし、それなりの収益も上げていたため、さほど問題視はせず、闇の部分については、一般企業なみのことと判断していたようです。

一方、対抗する勢力のライダーや、その少年隊は、世間がパニックに陥るのを恐れたので、あえてその実態を公表することはしませんでしたし、警察でも、瑣末な事件に時折顔を出す、ショッカーに不審な思いは抱いていたようですが、その裏側にある恐ろしい野望までは感づいていませんでした。唯一、金融監督庁だけが、ノンバンクの不良債権処理にからむ謎の法人として、内定を進めていましたが、その実態は庸としてつかめないままだったのです。しかし、弁護士誘拐事件以後、警察がショッカーの周辺を捜査の対象にしはじめ、次第に捜査の包囲網が縮まりつつありました。公表はされていませんでしたが、弁護士一家の自宅マンション近辺の道路から血痕が採取され、また部屋の片隅から、狼の紋章のアップリケが発見されるにいたって、ようやくその重い腰を持ち上げることとなったようでした。しかしまだこの時点では、警察庁と公安庁の動きはシンクロしておらず、それを調整する意向もあって警察庁長官の発表となったのでした。

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花火大会があったり、納涼肝試し(お化け役にはことかきませんからね)があったりと、ショッカーは社員福利厚生が充実してます。とくに、慰安旅行は年に数回催されるほどです。慰安旅行といっても、作戦行動のオマケで実施されているのですが、よく地方へ繰り出します。地方での作戦行動は、ライダーが出張してくることが稀なので、ほぼ計画通りにいくことも、慰安旅行が多くなる原因かもしれません。勝義たちの十二色村工場でも、その夏の慰安旅行が決定しました。四国へ海水浴に行くことになったのでした。もちろん、作戦行動の一環ですが。

「今回の作戦行動の指揮をとる半魚人少佐だ。少佐はパラオ支部から来ていただいた。少佐には、慰安旅行の幹事も兼任していただく。」

ゾル大佐に紹介されて、壇上に登場したのは、恰幅の良い人のよさそうな、ダイビングスーツを着た中年の男性でした。半魚人少佐は、もりがやってまいりましたぁと言いながら、額の汗を拭いつつ挨拶をして、今回の作戦を説明しました。今回の作戦は単純で、四国で海の家を経営するというものでした。もちろん、悪の秘密結社ですから、一般の海の家とは違います。優秀なお客さんは拉致してショッカーに就職させようという魂胆もありました。でも、計画の中心は企業からの利益供与を狙ったものだったのです。福利厚生施設利用の名目で、有名電気メーカーからお金をせしめようと考えたのでした。

いつもの作戦行動なら、戦闘員の移動は徒歩ですが、慰安旅行の時ばかりは、電車の利用が許可されました。勝義たちは、電車が嬉しくて期待で胸をワクワクさせながら、たくさんの荷物といっしょに一路四国をめざしたのでした。

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「それじゃ、マスター、後はたのんだよ。」

おやっさんにマスターと呼ばれた一見中学生のような風ぼうの若者は、

「だいじょぶです〜、まかせといてください〜、いってらっしゃいまし〜。」

と、にこやかに返事しました。おやっさんとタケシとタキの3人はタチバナモータースの10周年で、旅行に行くことにしたので、近所のマスターに留守をお願いしたのでした。タケシとタキはバイクにまたがり、おやっさんはランクルで出発して行きました。

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まったく首領は無茶なことを考える。こんなことしたって、なんの足しにもなりゃしないのに。

地獄大使は、被っていたエジプトのファラオを模した帽子を脱ぎました。

だいたい、こんな仕事は、マリバロンやゾルの野郎がいれば、あいつらの仕事だったのに……。マリバロン。畜生、傷口がいまでも疼きやがるぜ。そういえば、マリバロンはあれからどうしたんだろう。どこにもいないようだが……。

戻ってきて、首領に告げ口でもされては大変だと、地獄大使はタチバナモータースには見張りをつけておいたのですが、発見の報告はいまだなく、彼はちょっと不安になっていました。地獄大使は、マリバロンが死んでしまったことを知らなかったのです。

まったく苛々させてくれやがる。どいつも、こいつも。それにしても、ゾルの野郎、送別会のときはおかしかったな。涙なんか流しちゃって。おいおい泣いてたっけ。あんな狼野郎、田舎の工場のが似合ってるってんだ。もう二度と本社には戻れないだろな。ざまあみろってんだ……。

地獄大使はデスクに広げた社員名簿を見ながら、あれこれ思いを巡らしました。マリバロンが行方不明、ゾル大佐が左遷させられてから、彼はショッカーのナンバー3として君臨しています。ナンバー2ではなくて、ナンバー3なのは、死神博士が首領のお目付け役としてがんばっているからです。地獄大使は役付きに昇進するとき、専務を希望したのですが、本部長止まりになってしまったのも、死神博士の横槍のせいだと思っていました。まったく、あの老いぼれ爺め。地獄大使は、首を大きく振ると、またデスクの社員名簿を睨み、ほおっとため息をひとつもらしました。

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陸路、四国へ渡るのには、岡山県倉敷市児島から、有料の橋を行くことになります。本四連絡橋。四国と本州を結ぶ橋の総称で、神戸・鳴戸間、児島・坂出間、尾道・今治間の3ルートがあります。全長9.8キロメートル。瀬戸大橋と呼ばれ、1988年に開通しました。当時最高の技術で建設され、流体力学による構造の橋桁など、世界に名だたる吊り橋です。そこを、ぬけるように青い空からさんさんと陽光を浴び、どこまでも深い藍色の海を眼下に、2台のバイクが駆け抜けていきます。オイル漏れのため、少し遅れてランクルがついていきました。

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ショッカーの海の家建設作戦は、日頃アジトの建設で慣れていたので、予定より早くほぼ3日で完成しました。実は発泡スチロールのまがいものなのですが、見た目はとてもゴージャスな作りです。女の子なら、かっわいいを連発しそうな外観で、仙台在住の高名な先生作のカニのマークの看板もつけました。予想通り開店初日から早速、夏休みに入った学生たちで大にぎわいです。店長の半魚人少佐が、毎日海に潜って新鮮な魚介類を獲ってくるので、それがまた評判にもなっていました。とくに、このへんで獲れるはずのない毛ガニは、都会からグルメ評論家が集まるほどの人気を博していました。とくに現代のカニグルメ評論家を代表する、三浦朝壱氏に紹介されてからは、押すな押すなの大騒ぎです。あまりの商売繁盛に、勝義たちにボーナスが支払われたほど、大盛況だったのです。勝義はアルバイトに雇った近所の女子高生と仲良くなり、仕事が終わった後、海岸を散歩したり、花火大会やカラオケの日々をすごしていました。ほんとうに楽しい充実した毎日で、このまま夏が終わらなければいいなあと、勝義は思ったほどでした。

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照りつける太陽の下、道端にバイクとランクルを停め、3人の男が立っています。

「タケシ、この道で間違いないはずだ。」

グルメ雑誌の地図を確認していた、おやっさんが言いました。

「ここをまっすぐ行った海岸に海の家『壮快屋』があるはずだ。」

おやっさんが指さした先を、タケシは見つめました。そこには、青い水平線と微妙に色を違える夏の空が広がっていました。

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そのころ、エールフランス403便は快晴の成田空港にたくみに着陸し、18時間の長旅に疲れ切った乗客を吐き出しているところでした。暑いとはいえ、穏やかな夏の日差しは、まだなにも語り始めてはいなかったのです。


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