ショッカーの午後

ショッカーの憂鬱 その13 黒豹男

警視庁大会議室。まもなく始まる記者会見の準備やら、早めにやってきた報道陣でごった返していました。

マロは坂に言われて、ニコンのレンズを交換し、大型のストロボを装着しています。坂はといえば、テーブルの準備をしていた婦人警官をつかまえて、話し込んでいましたが、名刺に鉛筆で何か書くとそれを手渡して、マロの方に戻ってきました。

「今夜のメンバーがわかったぜい。警察庁副長官と警視長官、それに捜査1課長と…ここまでは月並みだな。公安庁強行2課長、ここがおもしろいな…。」

「何がおもしろいんです?」

「まあ、中央省庁の長が狙撃されたんだから、国家の一大事ってわけで、公安が出てくるのはいいんだけどな、この強行2課長、広末達之ってぇお方は、ちよっと過激な男でね。行き過ぎた捜査で、強行2課なんて閑職に回されちゃったのさ。情報操作が得意でなぁ、庁内じゃ『広告屋たつゆき』って呼ばれてるくらいだ。」

「広告屋ですか…。」

「ふふん、半分ホントだが半分は眉唾ってやつだ。おもしろくなってきたねえ。」

+++++

警視庁捜査課ロビー。凶嫁舞信玄刑事が広末達之課長に、何か耳打ちしています。達之は2度ほど頷くと、信玄に何か命じ、彼が急いで出ていくと、達之はオフィスから出てきた捜査1課長清野六朗をつかまえました。

「清野課長、民間人の身元が割れました。」

「え、本当か、どうしてわかった。」

「公安には不可能はありません。それより、その身元がちょっとおもしろいんですよ。」

にやりと笑うと、達之は清野に耳を貸すよう言いました。達之の話を聞くと、清野は顔色が変わってきました。

「うーん。偶然そこにいたとは、思えんなあ。ましてや、ショ…おっと、例の会社の社員てなことになるとな。弁護士事件との関連かな?」

「さあ、そのへんはわかりません、意味がある行動とも思えませんし。とりあえず、うちの凶嫁舞を会社の方に張り付けました。動きがあれば、連絡が入りますので。」

「広末くん、記者発表はどうするね。」

「その件ですが、清野課長、ちょっとこちらへ…。」

達之は清野を隅へ引っ張っていくと、小声で話し始めました。

+++++

定刻より5分ほど遅れて、警察の面々が会議室に入ってきました。ざわついていた報道陣が静かになります。坂とマロは後列右端の席に陣取っています。本当は最前列に行きたいところなのですが、どういうわけか、こういう席順には不文律があって、大手が前で弱小は後の隅っこと相場が決まっています。ゴシップ紙や週刊誌の記者連中に混じってマロはちょっと不満げでした。なにぶん事件が事件なので、どういう発表がされるのか、各社とも興味津々です。一言一句聞き漏らすまいと真剣な表情になりました。

捜査1課長清野が口を開きました。

「報道関係者の皆さん、ご苦労様です。まず概要について発表いたします。今朝5時半すぎ、浅草自宅マンション前にて、警察庁長官、警護官、運転手が狙撃されました。警護官4名と運転手は即死。警察庁長官は胸部に銃弾を受けたものの、一命はとりとめました。しかし、全治6ヶ月の重傷で、意識はまだ回復しておりません。また、犯人が逃走中に居合わせた民間人1名が負傷。全治3ヶ月。意識は回復しておりま…せん。使用された拳銃はトカレフ・リボルバー22口径、拳銃については証拠品として押収済み。指紋は検出されたが、該当者なし。銃弾にも前歴はなし。以上。」

一旦話が終わると、記者席から口々に声が上がります。清野は1人指名しました。

「犯人の目星は?」

「えー、逃走中の犯人を複数の住人が目撃。目下付近一帯を捜索中です。」

「犯人の特徴とか、なんとか、そのへんを…。」

「えー、目撃者の証言から、犯人は20代から40代の女性。自転車で逃走。…着衣は…なし。」

記者席が湧きあがりました。おおいっ、着衣なしって、裸かよっ。うっひょー。マロが小声で坂に耳打ちします。

「すごいっすね。裸でしかも自転車。会ってみたいっすよ。」

そら、俺も会ってみてえな、いい女ならと坂は考えました。

清野はまた1人指名しています。

「負傷した民間人の氏名を…。」

清野がちらと達之を見、彼が軽く頷くのを坂は見逃しませんでした。

「えー、民間人の身元は…絵夢美詠楠、男性、23歳。都内の商社勤務。…えーと、字はこう…。」

「意識回復の見込みは?」

記者席から声が上がりました。

「…えー、手術は無事終了、明後日までには意識回復の見込みです。」

この時、坂がいきなり立ち上がったので、マロはびっくりして椅子から落ちてしまいました。

「民間人のほうは45口径で撃たれてるって情報があるんですがっ。」

坂が大声で発言すると、記者席が静まりました。一瞬、清野は達之と目を合わせましたが、達之は首を小さく振りました。

「…あー、君は?」

「東都日報の坂です。」

「東都日報か…。民間人も含む7名全員が22口径で撃たれています。そういう情報は、ありませんっ。」

清野は頭っから否定しました。しかし、坂はひるまず、続けて質問しました。

「もうひとつっ。ICPOが関係しているようですが、そのへんはっ?」

記者席がざわつきました。

「それは、ノーコメントっ。以上会見を終わりますっ。」

清野がそう言って、帰ろうとするところを記者達が取り囲みました。コメントをっ、もっと何かないっすかっ、と大騒ぎになっています。達之だけが、その騒ぎをするりとかわして、会議室を出ていくのが、坂の目にとまりました。坂は、あわてて後を追います。廊下の角を曲がったところで、達之は止まって待っていました。

「私をつついても、特ダネはないぞ。」

「でも、追っかけてれば、犯人にたどりつくでしょうが。」

達之は、煙草はないかと坂にたずねました。坂は、持っていたマルボロを渡すと、ジッポーで火をつけてあげました。白い煙を吐き出すと、達之は坂に言いました。

「どこで仕入れたがしらんが、むやみなことは言わんほうが身のためだぞ。ルパンじゃあるまいし、ICPOと来たか…他に何を知ってる。」

「たいしたことは。それよりなんか、ヒントくださいよ。」

達之は苦笑しました。

「ふふふ、私に踊らされるだけかもしれんぞ。」

そのときエレベータの扉が開きました。達之は火のついた煙草を坂に向かってはじき飛ばし、

「横浜のミッキー。」

それだけ言うと、さっさとエレベータに乗っていってしまいました。坂は飛んできた煙草の吸い殻を、右手の人差し指と親指で器用に受け止めると、口にくわえ白い煙を吐き出しました。

+++++

ラジオは今朝の事件のせいで番組編成がボロボロになり、特番と臨時ニュース、合間に音楽を流すの繰り返しです。今も音楽が急に途切れると、臨時ニュースが入りました。

「ここで、警察庁長官襲撃事件の続報です。今夜8時すぎ、警視庁は記者会見を行い、事件の発表がありました。被害者の状況ですが…。」

横になって、ラジオを聴いていたイオットはボリュームを少し上げました。

「…繰り返します。運転手1人を含む警護官5人が死亡、長官は全治6ヶ月の重傷、巻き添えになった民間の方は、東京都小岩に住む、23歳の男性、絵夢美詠楠さん、全治3ヶ月の重傷です。なお犯人は、20代から40代の女性とみられており、自転車で逃亡、衣類は着用していませんでした。現在なおも、逃走中で、警察で全力を上げて捜索を続けております。なお、凶器の拳銃は…。」

坊や、生きてたの。よかった。それにしても、40代はないわよね。26歳の女をつかまえて…。

窓から、涼しい風が入ってきます。すっかり表は暗くなって、遠くのネオンがちかちか瞬いているのが見えました。

+++++

東京丸の内のショッカービル。26階建てで、20階から上が幹部の住居になっています。ちなみに1階から18階迄が各営業部のセクション、19階が首領室、地下1階から5階までが戦闘員の寮となっています。地獄大使は新しい情報がなかなか来ないので、24階の自宅へ帰っていました。数人の女性戦闘員を侍らせ、そのうちの1人とベッドに入っていました。しかし、どうも気が乗らず、地獄大使はそのまま、テレビのスイッチを入れました。ちょうど、テレビではニュースがはじまり、彼は黙って見ていましたが、やがて烈火のごとく怒りだしました。

「ば、ば、ばかものおっ。MBXめ、姿を見せんと思ったら、何をやっているんだ、あいつは。まんまと警察に捕まっているのも、同じではないかっ。」

あんまり怒ったので、体中に力が入り、地獄大使の体の下で、女性戦闘員が呻き声を上げました。地獄大使はベッドの脇の電話をとり、急いでダイヤルすると、受話器に怒鳴りました。

「…ドッグファザーか。私だ。テレビ見たか? あの馬鹿戦闘員をなんとかしろ。…ん、ああ、手段は選ばん。ただし警察に尻尾をつかまれるような真似はするなよ。…明日?ばかもん、今すぐにだよっ!。」

地獄大使は大声で怒鳴ったせいか、急に気分がよくなり、あと二人ベッドに女性戦闘員を招き入れると、上からのしかかりました。

+++++

イオットのいるアパートは、玄関を入って左に小さな流し台兼洗面所、脇にガスコンロ、反対側にトイレと収納、4帖半畳敷きの部屋の奥左手に浴室、という間取りで、月3万5千円。築30年の襤褸アパートです。安普請で、壁は薄く、隣の音がつつぬけでした。左隣は夕方挨拶にきた、根津藤衛とかいう学生風の男。寝てしまったのか、出かけてるのか、ことりとも音がしません。右隣はカップルらしく、午後9時だというのに、睦みあう声が聞こえてきます。イオットは、無視しようとしましたが、次第に大きくなり、今や激しく絶頂を告げる声になっています。やれやれ、そう思い、彼女は首を振りながら立ち上がると、浴室へ風呂の湯加減を見に行きました。手で湯船をかきまわすと、ちょうどいい具合です。段ボール箱からバスタオルを引きずり出すと、下着を脱ぎ、浴室に入りました。浴室までは隣の声も届かず、静かなものです。彼女はたっぷりと湯を張った湯船につかり、ほっと息を吐きだしました。すると今度は天井裏で、にゃあと鳴く声が。見上げると天井の換気口から、時折猫の目がきらりと光ります。おやおや、両隣だけじゃなくて上にも住人はいるのね、にぎやかだこと、イオットは首を振りました。

+++++

2台並んだモニターの片方に赤い点が現われ、明滅しています。根津藤衛はじっと目をつぶり、何かに精神集中し顔を紅潮させ正座していましたが、モニターの点滅に気がつくと、ぶつぶつ文句を言いながら、胸ポケットから携帯を引っ張りだしました。

「まったく、いいとこなのによ…。」

モニターの記号を見ながら、携帯のダイヤルを押しました。

「もしもし、ネットヘッズです。」

「ドッグファザーだ。緊急指令だ。電話じゃマズイからファックスを使う。いつものように、質問はなしだ。以上。」

緊急指令?根津は不審に思いましたが、パソコンを操作し、ファックスの受信を開始しました。内容は簡単でした。目標、社員見舞い。手段、無制限。期限、明朝8時まで。それに病院の地図。それだけです。

ち、しょうもない仕事が回ってきちまった。手段無制限ってことは、最悪の場合もあり、ってことか…。ドッグファザーの奴、近頃威張りくさりやがって。自分は何もしないで、命令の中継だけ。危ない橋渡るのは、総務部の下っ端だけってことか。だいたい今回だって、ここをつきとめたのは俺だよ、カメレ…。

「にゃあ。」

天井で猫の鳴き声がして、根津藤衛の思考は中断されました。根津は時計を見、まだ余裕があることを確認すると、再び正座し目を閉じました。根津の意識は深く沈んでいきます。全ての思念を遮断し、一点に集中します。閉じた瞼の裏側に薄ぼんやりと、光が見えてきました。それは、次第に形がはっきりしてきました。格子状のものが目の前にあります。その格子の隙間から光がもれています。格子がだんだん近づいてきて、隙間も大きくなってきました。根津はさらに意識を集中しました。隙間から下を覗き込むと、ちょうど湯船から上がる女性の白い背中と形のいい尻が一瞬見えましたが、すぐ視界の外に消えてしまいました。

「にゃあああ。」

根津は目を開くと、ちっと舌打ちしました。ドッグファザーが連絡してこなければ…、いいところを見逃しちまった。根津は立ち上がると、天井板を1枚ずらし、猫を呼び寄せました。猫は、勢いよく彼の腕に落下し、彼はデイパックを押し入れから出すと、猫をその中に入れました。

「さて、仕事だ。」

猫に言ったのか、彼自身に言い聞かせたのかわかりませんが、そう言うとデイパックを背負い廊下に出ました。そのまま廊下を進み階段を降りようと思ったのですが、途中で引き返し、隣の部屋の前まで戻りました。

こんこんこん。

扉を開けて顔を出したイオットは、ティーシャツとジーンズという格好に変わっていました。

「まだ、なんか用?」

「…い、いや、お茶でもどうかなと思って…。」

彼女は結構と、扉を閉めようとします。

「あ、待って。そうじゃない。話があるんだ。入れてくれないかな。」

彼女はここで聞くわと中には入れてくれませんでした。

「…えーと、今朝あった事件さ。ほら、撃たれた民間人。きっと殺されちゃうと思うよ。」

「なんのこと?」

「ほら、だって、彼は犯人を目撃してるわけだし…。」

イオットは勘ぐるような眼で根津を見ました。

「あなた、何か勘違いしてない?」

「い、いや、ほら、ニュースでさ、犯人は20代から40代の女性って、自転車乗ってきたし…。」

「あたしが犯人だとでも? 仮にそうだとして、あなたどうするの? 警察に連絡する?」

イオットは、さもおかしいというように笑いました。

「…え、いや、そうじゃなくて、映画なんかでは、ほら、目撃者は消されちゃうじゃないさ、だから…。」

「うふふ、あたしは犯人じゃないし、犯人だとしても目撃者を殺しに行ったりはしない。ネットヘッズくん、どうかしてるんじゃない。お出かけなら、さっさと行きなさい。」

根津はもごもごと口ごもりましたが、

「…あ、いや、ごめん。そうだ、勘違いだよね。すいませんでした。」

そう言うと、階段の方へ歩いていきました。

+++++

扉を閉め、イオットは腕を組み、今の会話を再考しました。

あの男、警察にタレコむつもりかしら。ううん、そんな感じでもないな。どうせ2、3日で警察が来るでしょうけど。目撃者を殺す? 坊やが話すとは思えないし、話したとしても、あたしはいくらでも逃げられる。あたしが、坊やを殺すことはない…。じゃ、誰が殺すの…。坊やが話すと困るのは…あ、ちょっと待って、まさか、会社が坊やを…?

彼女は荒々しく扉を開け、廊下を走り表へ出ると、ネットヘッズの名を呼びましたが、すでに彼の姿は見当たりませんでした。夜風がどこからともなく吹いてきて、イオットの首すじを通り抜けていきました。


案内


索引


ショッカーの午後について