午前4時半。大多和家海岸、海の家「壮快屋」では仕込みが始まっていました。
「ゆうべも大漁だったみたいですね。」
山積みになったヒラメやカツオの前で勝義が言いました。
「わはは。タダで仕入れて高く売る。こんなうまい商売はないな。」
半魚人店長はたくみに魚をおろしながら、笑いました。
「今日は旨いタコが獲れた。前菜はマリネにしよう。こういうのをエビで鯛を釣るというのだな、わははは。」
勝義はことわざの使い方が変だなと思いましたが、雰囲気はあっていたので、黙って仕込みをつづけました。
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名も知らぬ 遠き南の島より 流れ着いたる 小さき椰子の実
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早朝の海岸は、人気もなくこれから始まる1日の暑さを予感させるような、潮の香りを漂わせ、波打ち際には夜のうちに流れ着いた、種々雑多なものがころがっていました。その波打ち際をふらふらと歩いている水着の女性がいます。足取りはあやしく、酔っぱらっているかのようです。ああ、ばったりところんでしまいました。
「タケシ、人が倒れているぞ。」
おやっさんとタケシは彼女を抱き起こします。
「大丈夫かっ。」
「…ううん…なんだか疲れちゃって…。」
おやっさんとタケシは、とりあえずぐったりしている彼女を病院に連れていくことにしました。
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「店長、今回の作戦は大成功ですね。」
ようやく仕込みが終わって、一息ついた勝義が言いました。
「わはは、おれ様のカニカニ団はイイ仕事してくれるわい。。」
「最近、このへんじゃ皆なぜか素潜りが上手くなったって話しでもちきりですよ。」
「そりゃそうだろう。おれ様が毎晩、特訓してるんだからな。うちは魚がタダで手に入るし、奴等は素潜りが上手くなる。一朝一夕だな、わはははは。」
一石二鳥の間違いだろうと勝義は思いましたが、雰囲気はあっていたので、いっしょに笑いました。
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医者が検査結果を見ながら、首をひねりました。なにか気にかかる点でもあるのかと、タケシがたずねました。
「この血中酸素濃度なんですが、通常の2倍くらいの値なんですよ。イルカとかクジラ並でして、これは長時間素潜りをしたときなんかに見られる現象なんです。」
すもぐり?いったい、どういうことだ。
「なんか、最近この町で、こういう患者さんが増えましてねえ。新種のウイルスかと思ったんですが、たんなる疲れだけみたいなんですけどね。ま、2、3日休めば、このお嬢さんも元気になりますよ。自宅へは、病院の方で連絡しておきますから。」
おやっさんとタケシは彼女を医者にお願いして、ホテルへ戻っていきました。
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「あの3人組、今日も来てますよ。」
勝義は店長をつかまえて、言いました。
「ふむ、いかんなあ。…よし、勝義、あの3人組にユメヤ毛ガニをだしてやれ。」
「え、カニカニ団に加えるんですか。」
「野放しにするより、いい方法だ。おやじの毒牙の犠牲者がでないうちに、手を打っといたほうがいいだろ。こういうのを千手観音っていうんだ。」
先手必勝だろうと勝義は思いましたが、雰囲気はあっていたので、感心したふりをしながら、厨房にユメヤ毛ガニをオーダーしました。
ユメヤ毛ガニ、これは、人を自在にあやつることができるといわれる、ジタリン酸ユメヤカニーネを大量に含む、人工培養のカニでした。このカニを食べると、人は特定の音声に従うようになり、まるで奴隷のように操ることが可能になるというものでした。ジタリン酸ユメヤカニーネが最初に発見されたのは、1985年、秋葉原第68研究所で、当初は脳の中枢神経を刺激して、ドーパミンの大量生成をおこし、気分が高揚するだけの効果と思われていました。その後、研究の中心は小岩604研究室に移り、最終的には同G3分室において、催眠暗示物質として完成されたのでした。そのユメヤ毛ガニを、盆に載せ、勝義は3人組に近づいていきました。
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「…放送を中断して、臨時ニュースをお伝えします。今日未明、浅草公園前の自宅マンション前で警察庁長官がなにものかに襲撃されました。この事件で巻き添えになった市民1人を含む計7人の死傷者が出ている模様です。詳しい情報は後ほど入り次第、お伝えします。繰り返し、お伝えします…。」
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静かなジャズを流していたラジオから、緊迫した声でニュースが流されると、3人組は顔を見合わせ、なにか小声で話すと、1人が立ち上がり急いで店を出ていきました。勝義は残った2人も出ていってしまっては大変と、あわててテーブルに盆を置きました。
「おや、こんなの頼んでないけど?」
親父がいぶかしそうに勝義を見上げます。
「・・ご、ご、ごひいきいただいてますので、当店からのサービス、ユメヤ毛ガニでございます…。」
「おお、そうか、そうか。おい、タケシ。こりゃ旨そうだぞ。」
親父はさっそくぱくつきましたが、残った若者は、するどい目つきで厨房をのぞきこんでいました。
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暮れ行く 海の 懐かしき はるけき日々の 思ひでを
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その日は、お昼すぎに最高の客の入りを記録し、売り上げで250万円を越える勢いでした。ようやく閉店の時間を迎え、てんやわんやだった店内を清掃していると、勝義は店長に呼ばれました。店長室に来てみると、店長は売り上げの計算をしているところでした。
「おお。勝義、ご苦労であった。この調子でいけば、おれ様の海の家部隊が社でナンバーワンってことになりそうだ。」
半魚人店長は上機嫌です。
「勝義、ボーナスだ。とっておけ。」
店長は、売り上げの中から札を10枚ほど、勝義に手渡しました。
「ほれ、おまえ、バイトの女子高生に惚れてるんだろ。少しはカッコいいとこみせてやれ、たまには遊んでこい。こういうのを梅雨の晴れ間の洗濯っていうんだ。」
勝義は、なんか全然違うなと思いましたし、雰囲気もあってませんでしたが、現金が嬉しいので、大きな声で礼を言うと、バイトの女の子を誘い夜の街に繰り出して行きました。
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夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空
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夜8時。日中の焼けるように熱かった砂浜も、心地よい冷たさに変り、青い月が綺麗な夜の海岸で、半魚人店長は軽くストレッチしました。海に入る前には、いつも体をほぐすことにしているのです。ラジオ体操の第1と第2をフルコーラス、ヒンズースクワットを100回、それから大きく深呼吸しました。そして、腕を大きく夜空に向かって広げると、その腕は次第に固い甲羅に覆われ、巨大なハサミへと変っていきます。いまや、半魚人店長は巨大なカニ、改造人間カニバブラーへと変身していました。
「カニカニ〜、カニカニ〜。」
巨大なカニが呪文のように、雄叫びを繰り返し、片方のハサミを大きく振ると、どこからともなく海岸に人が集まってきました。
おお、なんと、その中には昼間海の家でカニを食べていた3人組のうちの親父が混じっているではありませんか。
「…よく来たな。わがカニカニ団よ。今晩も大漁めざして頑張るぞ。」
カニバブラーは集まった人たちに声をかけました。そして例の親父に向かうと、
「ふふふ、おお、今夜は初心者もいたのだな。お前さんは、まず素潜りの練習からだ、他のものはいつものように、網をひきあげてこいっ。」
大きなハサミを振り上げ、命令をするカニバブラーに、何者かがとびかかりました。カニバブラーは大きくしりもちをついてしまいました。
「あいててて、なにものだっ。」
見上げると、青い月の光をバックに、ひとりの男が立っていました。
「あ、きさま、この親父の連れ…。」
夜中にホテルを抜け出した、親父の後をつけてきたようです。
「そこまでだ、ショッカー。」
そう言うと男は、空高く飛び上がりました。
「あ、きさま。か、仮面ライダーだったのか。うぬぬ、しまった。こういうのを紺屋の白袴っていうんだな。」
ライダーはなに言ってるんだと思いましたが、雰囲気があっていたので、かまわずキックしました。カニバブラーの左のハサミがちぎれて飛んでいきます。
「うぐ、くそう。…カニカニ団、ライダーをやっつけろ。」
海に入ろうとしていた人たちが戻ってきて、ライダーを取り囲みました。
「わはは、どうだ、ライダー、手も足も出まい。まさか罪もない一般人には、手をだせないだろう。わはは、こういうのを…。」
カニバブラーが話し終わる前に、ライダーは取り囲んだ人をなぎ倒してカニバブラーに突進してきます。
「…あ・・あれえ?…そんな、ばかなあっ。」
あわてて、カニバブラーは海へ逃げ込みました。海の中なら、ライダーより自分が有利だと思ったのです。ざぶーん、ぶくぶくぶく…。けれども、待てど暮らせどライダーは、海の中に潜ってきません。業を煮やしたカニバブラーは、海面にそうっと顔を出しました。
その瞬間、
「ライダーキーック。」
ものすごいスピードでカニバブラーの顔めがけて、ライダーが飛んできました。
「う、うわあ。」
よける間もなく、衝撃波がカニバブラーを襲います。体じゅうを覆う硬い甲羅が粉々に砕け、あたりの海面が熱により蒸発しました。もうもうたる水蒸気の中で、カニバブラーはふわふわと海面に漂う海のもずく、失礼、藻屑と化していました。
「…うぐぐ、ああ、もっと儲けたかったな…こういうのを二兎を追うもの一兎をも得ずっていうのかな…。」
甲羅が無くなり、柔らかい実だけになってしまった巨大なカニに、魚たちが群がり、カニはたちまちむさぼり食われていきました。魚たちは、あいにく日本語がわからなかったので、カニバブラーのことわざが正しい使い方なのかどうかわかりませんでしたが、ただ、雰囲気はあっていたので、残さず食べることにしました。やがて、巨大なカニは跡形も残さず消えてしまい、魚たちはそれぞれの海へ去っていきました。そうして海は、何も答えず、ただ青い月をその穏やかな海面に映し出しているだけでした。
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海は広いな 大きいな 行ってみたいな よその国。